京版の「つ」は、
「月夜に釜を抜かれる」です。
釜を抜く、という表現は、今ではちょっとイメージしにくいですが、昔は竈の穴の中に落とし込んで使っていましたから、「釜を抜く」という表現が成立したようです。
表現が成立するのはいいですが… 要は、
「盗まれる」こと!
それも“月夜”なんて、泥棒が最も活動しにくい夜です。
それなのに、よくもまあぬけぬけと盗まれたもんですなぁ…。
つまり、「思いっきり油断して、大損害を被る」ことを、この言葉はたとえているのです。
僕は小さい頃から、「油断屋さん」でしたね~
まだ大丈夫、もうちょっと…、と行きそびれているうちに、結局おしっこをもらしてしまったり、テストも余裕ぶっこいて問題を解いてたのに、最後の方はいつも、時間が足らなかったり。
基本的には、「今」主義で、先々を考えることが出来ないんです。
計画を立ててやろうなんて、皆無だったから、夏休みの宿題も、最終日に大慌てでした。
でも、そんな苦い(生温かい!?)経験を繰り返していくと、それでも少しは逆算して、計画的に物事が出来るようになっていきますね。
これはこの日までには長時間残業してでも済まさなきゃ、とか、これはこの次の会議までに済ませればいいとか。
全80支店が報告書を編集できる、Excelのシステムを作って3年目ですが、今年版が完全に完成したのは、つい先頃。
その前にあった、大きな会議は、集計表だけは出せるように作っておいて、なんとか乗り切りました。
得意分野や好きな分野は、こういうことが出来やすくなりますよね。
油断して失敗することはよくないことだけど、僕にとっては「薬」としても、作用したかな。
それはそれで、よかったかも知れません。
長いスパンで見れば…。