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書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

YS-11の記憶…

行ったのは、7/11です。

電車とバスの博物館」…ですが、この方がいます。

 

YS-11

国産機です。
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YSは、開発した「輸送機設計研究協会」の、“輸送機”と“設計”から。

11は機体とエンジンの番号だそうです。

 

ちなみに国産機とは言え、エンジンはイギリスのロールスロイス製だったりします。

ピストンを回すレシプロ機ならともかく、燃焼した高圧ガスの噴射でタービン(プロペラ)を回す、ターボプロップエンジンの開発は、戦争明けの日本には、荷が重かったかも知れません。

 

YSと言えば、僕は鹿児島時代に思い出があって。

鹿児島空港には離島便が多数設定されていたので、手頃な飛行機だったYS-11は、いつ行っても多数駐機されていました。

 

飛ぶシーンも、随分見ましたよ。

他のジェットとは、明らかに違う、低い音!

それこそ、「ブーーーーン!!」

魅力にとりつかれましたね~♪

 

初めて乗ったのは、確か鹿児島-種子島便。

この日は、台風!!

よく、飛んだものです。 

 

でも僕ったら!!

気持ち悪くなる人が続出する中、

「スリルがあって、楽しかった!!」

 

今だったら、感想は違うかもしれませんが。

 

帰りの屋久島-鹿児島は、穏やかだったと思います。

 

沖永良部-鹿児島便にも、乗りましたね。

後に、YS-11使用の旅客最終便が、この航路を飛びました。

 

今は、航路もない(臨時はあったかな?)ですが…。

大学入学に使った「伊丹-松本」便も、思い出深い路線。

 

YSはプロペラ機なので、あまり高く上がりません。

なので、アルプスが手に取るように、縫うように飛ぶ!!

 

残念ながら、写真は残っていないんですが、時期的に雪山ですが、それはとてもきれいで!

大学入学の緊張を、ほぐしてくれたものでした。

 

松本空港です。

その時の到着機では、ないですが。

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当時の日本エアシステム機(東亜国内航空)機には、地名などが記名としてつけられていました。

冒頭の博物館のは、「なると」ですね。

 

一方、全日空陣営も、YSを多数保有していました。

全日空が直接保有していた機体は、「オリンピア」って呼ばれてましたね。

東京オリンピックで、聖火を輸送したんです。

 

その子会社のYSが、所沢市の航空公園に保存されています。
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ANKは、「エアーニッポン(近距離)」の略。

エアーニッポンは、地方都市間を結ぶ路線を担当していました。

その前は、「日本近距離航空」って名前でしたね。
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先ほどと違って、丸々1機の保存です。

柵はありますが、結構近づけます。

 

プロペラは、4枚羽根なんですね。
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タイヤは意外と、細いかも。
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エアーニッポンJA8732号機でした。
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エアーニッポンのYSには、残念ながら乗ることはできなかったけど、思い出のある飛行機です。

また、会いに来ますね。
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