京版の「そ」は、
「袖すり合うも他生の縁」です。
「多少」じゃないですよ!
そう、ほんの居合わせただけの人だったとしても、実は前世に因縁があって、必然的に出会っている、という考え方を、仏教ではします。
「他生」とは、仏教の輪廻思想における、前世(またはさらに前)のことで、そこでの因縁から、現世でもこうやって出会ったと考えます。
なので、人の出会いには偶然というものはなく、前世からの因縁からの産物。
逆に言えば、現世での出会いが、来世にも影響するのです。
だから、「出会いは大切にしなさい、来世でもよい出会いであるように!」ってな解釈に、なると思います。
40数年生きていると、いろんな出会いがあるものです。
子供の頃は転校を繰り返したことで、決定的に深い出会いにはなりませんでした。
だから、生まれてからずっとその土地に住み、友達とは深い付き合いをしている人が、羨ましく思ったこともありました。
ただ、僕だって、相棒とは10年の付き合いになります。
仕事や地域以外(彼とは最初は仕事上の相棒でしたが)で、ここまで長い人は珍しいんじゃないでしょうか。
越谷のHさんも、家族のことを話せる、深い仲です。
野球でつながる人、グルメでつながる人、ちょっとしたやりとりからオフ会に発展した人。
友達歴関係なく、素晴らしい仲間に恵まれていると思います。
ブログを教えてくれた人、TwitterなどのSNSを紹介してくれた人。
今は疎遠になってしまったけど、そもそもコミュニケーション能力に疑問があった僕に、新しい世界を開いてくれました。
先生との出会いも、大きな影響がありますね。
転校生だった僕を、温かく受け入れてくれた先生。
最終学年は小中高とも、いい先生だったと思います。
仕事でも今の仕事もだけど、いろいろ出会いがありました。
よくしてくれた人もいれば、そうでない人もいたけれど。
中でも、僕にExcelの表の作成を初めて依頼してきた、郵便局のO課長代理と、障害者では行った僕を気遣い、引っ張っていってくれた、今の次長は別格ですね。
まぁ中には疎遠になった日と、喧嘩別れした人もいるけど、何かのきっかけで出会ったのは、事実。
面白くはないけど、感謝すべき点は、あるかなって思う。
思えば、僕の周りに人が集まりだしたのは、30代の後半から。
うつを抜けつつあった頃かな?
そう、リワークデイケアを、忘れてはいけません。
あそこは僕にとってうつを知り、職業能力を回復させるだけじゃなく、人生の再教育の場だった。
自信をつけさせてくれ、存在意義を与えてくれ、時には正してくれ。
その場でともに過ごした仲間を、僕は忘れないでしょう。
出会ってくれて、ありがとう!