Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

3人の投手…

今週のお題高校野球

 

(敬称略)

忘れもしない、1991年の甲子園。

当時は信大生でしたから、鹿児島の他に、長野県代表にも注目して、応援して、見てました。

 

何たって、地元松本市松商学園でしたからね~!

センバツ夏の甲子園と、二度甲子園に出場。

優勝をも狙える好成績でした。

 

その時のエースが、上田佳範

センバツ初戦の愛工大名電では、鈴木一朗に投げ勝ち、無安打に抑えています。

後の「イチロー」です。

 

夏の甲子園では四日市工業と、延長16回もの死闘を演じました。

僕もテレビに、かじり付いてたんじゃないかな?

最後は上田佳範への、押し出し死球

倒れながらも、最後は笑顔で、一塁へ向かっていきました。

当ててしまったのは、井手元健一朗でした。

 

イチローについては誰もが知るでしょう。

まだ、現役ですし。

 

高校野球で最も成績の良かった上田佳範ですが、実は投手としては大成しませんでした。

確かに怪我もしたんですが、プロのスカウトは、打撃にこそ、光るものを見ていたそうです。

2年で打者転向。

レギュラーとして、ここぞという場面での代打、守備固めとして活躍、2008年まで現役で活躍しました。

その後もコーチとして残り、今年も横浜DeNAで、コーチとして手腕を振るっています。

 

上田に死球を当てた井手元健一朗は、中日に入るものの、実働は4年。

アマ球界に復帰して、JR東海を中心に活躍。

通常勤務も挟んで、2009年に投手コーチに復帰、手腕を発揮しています。

(現在は退部されているようです)

 

この3人の投手。

イチローの活躍はものすごいですが、実は投手として最も活躍したのは、一軍で活躍した、井手元だったりする!?

上田は二軍として、松本で凱旋勝利するも、一軍としての勝利はおろか、登板すらなし。

イチローに至っては、最初から野手としてのプロ入りでした。

でもそれぞれ、いろんな経験をして、いろんなステージに身を置いて。

いろいろ活躍して、この時期まで現役・野球人として、生き残ってきた。

これって、ものすごいことだと思うんです。

 

早くに野球を諦めて、別の道へ進んだ人を、悪く言うつもりはありません。

それでも、少年時代に夢を希望を目標をと見定めて、努力を重ねてそれを実現した、この3名の選手の成績・実績は、とても輝かしいものだと思うんです。

 

好きだから続けられた、と彼らは言うでしょう。

でも、好きだからこそ、厳しい場面も、あったはず。

それを乗り越えて、我が道を貫き続けた、この3名の野球人は、僕にとって憧れ以外の何物でもないのです。