Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

2011年の記憶…

当時39歳。

就職には40まで、なんて言われていました。

あんまり焦っては、いなかったけど。

 

その理由の一つが、この事件。

 

東日本大震災

 

震災時、僕がいたのは、病院のデイケア室。

帰りの会に向けて、その日やったことをまとめていた頃でした。

 

ん?地震

 

酷い??

 

あとは必死に、飛び出す引き出しを押さえていました。

 

どうせ帰る時間だったので、様子を見つつ、散開。

当時、草加から竹の塚の病院までは、運動も兼ねて、30分かけて自転車で通っていました。

なので、帰るには影響はなかったんですが…

 

その後のことは、皆さんご存知の通りです。

 

草加は被害という点では、大したことはありませんでした。

山が崩れるわけでもなく、橋が落ちるわけでもなく。

もちろん、津波も来ませんでした。

 

その後、物資は足らなくなりましたけどね。

納豆が品薄になったり。

ガソリン入れるのが大変だったり。

 

計画停電も、ありました。

夕方から夜の計画停電は、ろうそくを用意したり。

ただ、携帯電話はつながるってのは、発見でしたね。

基地局はバッテリーを積んでるので、すぐには電源は切れないのです。

 

被災地に比べれば、なかったに等しい、軽微な被害でした。

 

数ヶ月すると、だんだん落ち着いてきました。

僕のリワークデイケア暮らしも1年に近づき、復職する同期が出始める頃、僕も就職の気運が高まってきました。

専門の先生についてもらって、企業研究や面接などの練習もして、いくつか採用面接を受けました。

上手く行かないまでも、手応えがあった回もありました。

 

ある時、自分としては、言いたいことが言えた回がありました。

面接としては、一番上手くいったでしょう。

 

しかし、不採用。

僕自身も、予想していました。

やりとりが、かみ合わなかった。

お互いのニーズや方向性がずれていることが、その場でもわかったんです。

 

一方、その次に行った、障害者対象の合同就職面接会では、3社話を聞きました。

そのうちの一社は、僕自身としては、あまりうまく物事が言えなかった。

かなりやり込められた印象さえ、ありました。

 

その会社が、病院に帰ってすぐ、連絡をよこしたのです。

それが、今勤めている会社です。

 

昔、面接は「テスト」だと思っていました。

もちろん、テストの面もあるんでしょうが、わかったことは、

「面接は、お見合いなんだ」、と。

 

こちらがどんなに上手くやったって、相手が自分を欲しがってなければ、絶対に採用はされない。

自己評価の点数で決まることでは、ないのです。

 

逆に言えば、採用面接に落ちたって、面接の仕方は反省しても、それ以上に落ち込む必要なんてない。

ただ、お互いが合わなかっただけ。

だから、どんどん次の会社を探せばいいんです。

人間性を否定されたわけでは、ないのだから。

 

そのことに学生時代に気づいていれば、もっと人生が変わったかも知れません。

でも、こうやって回り道してつかんだ、今の職が、今まででは一番合っていると思っています。

これで、よかったのかも知れません。

 

就職して、軽減勤務を経て、最初は人事部付きで、勤務開始。

会社としても、精神障害者を雇うことは、経験がなかったらしくて、かなり慎重に事を運んだと、採用担当の女性課長が、語ってくれました。

メンバーはいろいろと気を使ってくれましたし、営業側の人々も、そのように接してくれました。

飲み会なんかも企画してくれたりね。

 

精神障害者という点の他に、しばらく職を離れていたわけでもあり、民間企業で就業経験も浅い僕でしたが、目に見えない点で、随分サポートしてもらっていたと思います。

 

 

 

12月。ある目標に向けて、通勤電車ではひたすら、携帯電話に向かっていました。

 

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