Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

背番号45の記憶…

(敬称略)

バースの次ぐらいにやってきた、阪神の外国人。

セシル・フィルダー

背番号45。

 

それまで、フィルダーはメジャーにはいたものの、なかなか活躍の場に恵まれずにいました。

日本へは、出場機会を求めて、やってきたのです。

 

ここで突如、打棒開眼。

豪快なスイングでホームランを量産、打点81、打率も3割に乗せるなど、鬼神の活躍を見せました。

 

残念ながら、契約がうまく行かず、たった1年で日本球界を去ってしまいます。

しかし、メジャーに復帰してからも、見違えるような活躍!

日本での1年間は、フロックではなかったのです。

 

日米貿易摩擦などから、「彼はデトロイトが受け入れた唯一の日本製品」なんて言われたそうですが、彼が日米球界へ与えた影響は、そんなもんじゃない。

 

日本のプロ野球が、メジャーへの登龍門になりうることを、証明してみせたんですから。

 

それまで、日本へ来る外国人選手は、残念ながら盛りを過ぎた選手が多かった。

しかし、フィルダーが道を拓いてからは、もっと若い、これから伸びる選手も、やってくるようになりました。

そう、出場機会を求めて。

 

彼らはプレーも練習も真面目にこなし、チームにも溶け込もうとした。

モチベーションが、違うわけです。

そんな彼らのハイレベルなプレーは、観客にもチームメイトにも、大きな刺激になったはずです。

 

いつしか、いわゆる「ダメガイジン」は、日本に来なくなりました。

来ればニュースになるし、スカウトが叩かれる。

日本プロ野球のレベルは、もはやメジャーリーガーの余生の場では、なくなったのです。

 

今でこそ、日本には当たり前のように、各国の外国人選手がやってきて、日本人との競争の上で、活躍をみせてますが、そもそもの「はじめの一歩」は、フィルダーの成功だったと思うんです。

 

フィルダーの“前向きな”成功が!!