当時37歳。
リーマンショックの猛威が吹き荒れ、企業は縮小モード。人減らしモード。
結局、派遣先の会社はすべての派遣を切り、派遣元へ戻されることになりました。
人形町、後に池袋の狭い部屋に、同じ運命の者たちと、たむろする毎日。
もちろん、課題は与えられましたが、悶々としておりました。
中盤、新たな派遣先が決まりましたが、ここは自分には全く合わないところでした。
求められるレベルも高すぎたし、上司はパワハラまがいで、自分には全く合わず。
3ヶ月でうつ病を再発、派遣元からも退職することになりました。
まあ、傷病手当金の手続きは、取ってくれましたけどね。
これから1年半、資金的には助かっており、ありがたいことではありました。
ちなみにこの派遣元も、リーマンショックのダメージは大きく、起死回生の拡大策も実らずに倒産、現存しません。
再びの、失業生活。
ただし、最初に失業した時とは、心構えが全く違いました。
自分なりに課題を見つけて、学習したり、本を読んだり。
就職のためには面接をクリアしなければと、想定問答集を随分作りました。
もっとも、実際の面接ではその通りになんか喋りませんけどね。
あくまで、話の筋道を組み立てるための、原稿との位置づけでした。
あとは散歩に行ったり。
通院、自宅待機を続けて、暗黒の年が暮れていきました。
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