当時24歳。
配属先が決まったのは、3月だったかな?
「湯河原郵便局」でした。
地域を代表する区分局、ではないにしても、それなりの規模があった松本郵便局よりも、かなり小さい局です。
そもそも、「湯河原ってどこ?」
ピンときませんでした。
今回も、一人暮らしになります。
近さを取って、隣の真鶴駅に近い、それなりのマンションにしたけど、「新人ごときが…」と、反感を買ったかも知れません。
でも、局区内で、自転車で行ける範囲に住むことは、後々他の局員からも重宝されるんですが。
鉄道的には、天下の東海道線沿線でしたね。
113系という、賑やかな電車が席巻していました。
通勤にも使いましたが、小田原やその先に出るときにもね。
その7年もお世話になる、身近な電車になりました。
仕事開始。
先輩局員は、おっかない2人組がいて。
中々馴染めずにいました。
24時間、緊張しっぱなしでしたね。
家に帰っても。
その後、新人研修では国立の研修所に。
暑くてねぇ~
年が上だったことと、やっぱり小さい局の人が少なかったので、あんまり交流は広げられませんでしたね。
それでも、バイトの経験から、仕事はとっかかりがあったのが、せめてもの救いでした。
でも、窓口業務は始めての経験で。
「お金が、合わない!!」
数十円過剰だったり、逆に不足だったり。
多分、この年、翌年ぐらいは、一度もお金は合いませんでした…。
「数年前入った先輩は、一度もお金を外したことなかったんだぜ!」
ハイ、すごいです…。
こんなことも。
ある時、10,800円も不足になったことがありまして。
いくら探しても出てこないし、そもそも記憶なんかしてる余裕なくて。
あんまり出てこないんで、任意弁償して帰ったら、次に切手箱を使う先輩に、こっぴどく怒られました。
そんな計算が合ってもいない切手箱で、自分の業務をするのはごめんだと。
えらい、凹みました…。
そしたら数ヶ月後、横浜税関から、過剰となった収入印紙が、送られてきたのです。
今は違いますが、当時は外国からの税付き郵便物の税額は、売り物でもある収入印紙を台紙に貼って、納付することになっていました。
その時の金額は、1,200円。
1,000円×1枚、200円×1枚貼るところを、10,000円、2,000円が、1枚ずつ貼ってあったんだそうです。
差額はぴったり、10,800円!
そうだったのか…。
しかも、扱ったのは僕じゃなかった。
補助に入ってくれていた先輩が、一桁間違えて、収入印紙を貼っていたのでした。
その時の気分、ほっとしたような、訳のわからないような気分でしたよ。
もちろん先輩なんで、別に文句も言いませんでしたが、その後気を遣ってくれたのか、それまであまりよくなかった先輩との関係は、好転しましたよ。
冬には初めてのボーナスが出ていますが…、何に使ったのかは覚えていません。
それほど、仕事面で濃い一年だったのです。
ちなみにこのころ、実家は厚木にあって。
たまに帰ることがありました。
帰ると、車の運転の練習をさせられて。
「死出の旅路…」なんて言いながら。
周囲は冗談に取ったようですが、本人は全然冗談なんかじゃなった。
車から降りると、背中からお尻から腿から膝から、冷や汗びっしょり!
何かにつけ、緊張感のまっただ中にいた、一年でした…。
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