京版の「う」は、
「氏より育ち」です。
家柄なんかよりも、どんな環境で、どんな育てられ方で育ったかの方が、人間形成に大きな影響を与えることを言う言葉です。
ウチに「氏」があるわけではないけど、同じ家で生まれ育ったのに、全然違った人間になるのは、例えば兄弟なんかでは、顕著ですよね。
僕は長男ですから、やっぱり大事に育てられたらしい。
その一方で、しつけというか、親の思い通りになるように、抑えつけた面があるように感じました。
だから、僕は外圧に弱い、傷つきやすい、自分を主張できない。
一方で、相手をおもんばかるようには育ったような気がします。
もちろん、育てるのは親だけじゃなくて、学校だったり会社だったり地域だったり、友達だったり、或いは兄弟自身だったりもしますけどね。
弟の方は、親の方にも僕を育てた経験があるので、それを活かそうとする。
兄の僕もまだ幼いので、関心は分散されますしね。
その一方で、僕が出来なかったピアノなどは、かなり厳しく教え込んだようです。
そのお陰か、弟の方が我が強く、自己を主張できるように育ったようですね。
なにくそ!と、泣きながらでも頑張れる、強さが身についたようです。
もちろん、兄弟同士、生まれ持ったタイプも違うわけで、環境や育て方が全てではありません。
もう、お互い40歳を超えましたが…
収入面では、弟の方が遥かにあります。
僕は、途中で無職期間がありますから。
家庭面でも、弟の方が先んじています。
一時期はそのことに、劣等感を感じたこともありました。
でも、今はそれぞれの人生と言うことで、割り切って考えることが出来るようになったかな?
僕自身も、少しは人生に自信が出来てきたのかも知れませんね。
弟は遠い地で暮らしているけど…
機会があれば、杯を酌み交わしたいですね。