当時31歳。
前年から低下していた精神状態は、さらに悪化していました。
常に、自分を呪っていたと思います。
ダメなヤツ、死ぬべきだと。
自殺方法なんかも、本気で考え始めて…。
最悪でした。
寝て過ごす休日も多かったし、知らず知らず、酒も増えました。
それでも、勤務は休まずにいました。
ここで、思いも寄らなかったことが起こります。
「転勤+昇進」
中規模局への異動でした。
とは言え、慣れた環境から知り合いが誰もいない局へ、しかもなったことのない役職までついて。
既に相当なうつ状態だった僕には、とても耐えられる変化ではなかったんです。
「昇進うつ」って、本当にあるんですよ。
しかも表向きは喜ばしいことだから、なおさら…。
「転勤」、「昇進」、「うつ」
どれか一つでもなかったらと、今でも思います。
休み明け、だったかな?
どうにも窮してしまって、夜も眠れず、押し寄せてくる自責の念。
退職して、そのまま死のうと、決意しました。
でもその前に、一度だけ局に電話してみよう…
電話は…、出ない…。
これで、覚悟しました。
この後は、破滅に向かって一直線。
結果は…
まぁ、コレ書いてますからね…。
キズ一つ、付けられず。
人間、そう簡単には死ねないのです。
ただ、両親が駆けつけるのが、あと1時間遅かったら、夜空の星を取りに、帰らぬ旅に出ていたかも知れません。
ちなみに、電話に出なかった局には、何の落ち度もありません。
後からわかったんですが…
かけた電話番号が、間違っていたのです。
結局、このまま退職となりました。
懲戒を、って申し出ようとも思いましたが、自己都合退職にしてくれて。
退職金はいただけました。
一人暮らしの湯河原も、引き払い。
草加にある、実家に引き取られることになりました。
しばらく、放心してましたね。
16時間も寝たり。
精神病院も通ったけど、あんまり熱心じゃなかった。
とにかく「自分を罰したい」
こんな感情が、僕を支配していました。
今、これを書いている“今の僕”も、結構うつがキツく出ていて、頓服のお世話になったりしてます。
でも、書いててわかりますが、今よりあの頃の方が、ずっとツラい。
今は当時に比べて、よい医者もいるし、効く薬もある。
職場のサポート体制もある。
僕自信も知識がついたし、自分なりの経験もした。
そして何より、
「一人じゃない」
これが、大きいのです。
恋人や奥さんでは、ないけれど…。
最悪の事態が起こるのは、いくつもの悪い要素が、すべて重なったとき。
一つでも手当てすれば、最悪の事態など、そうは起きないのです。
でも、そのことに気づくのは、もっとずっと後のことになります。
次の年は、こちら
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