当時26歳。
湯河原郵便局勤務も3年目。
相変わらず、うだつは上がってないんですが、それなりに生活は安定してきていたようです。
ボーナスで生活費を補填できるのは、やっぱり大きいですが、そこから費用を捻出して、旅行にも行くこことも出来るようになりました。
多分、帰省以外の旅行としては、初めてになります。
正確には、当時長崎にあった実家への帰省が、組み込まれているんですが。
あと、写真が残っていないんですよね。
ワープロは持ってましたが、デジカメを手に入れるのは、もう少し先の話です。
まず行ったのは和歌山県太地町。
大阪経由で、当時あった長距離夜行鈍行列車、新宮行きでした。
急行形の165系でしたね。
ワインを持ち込んで、座りながら寝てました。
朝、着いた太地町はくじらの街です。
町ではくじらの伝統漁などが紹介されていました。
後に、残酷とかで注目されてしまいましたが、太地の人は決して乱獲はしていないわけで、何でもかんでも非難するのはどうかなと、今でも思います。
当地でしか手に入らない「くじら肉製品」が買えたり、当日しかもたない和菓子がことのほか美味しかったり、旅の醍醐味を楽しむには十分な、楽しい旅でした。
元々旅行は好きでしたが、自分で自由にルートを決めて、旅する楽しみを知ったのは、この旅だったのです。
ちなみにこの旅では、「しんぺい」と言う普通列車で、肥薩線も旅しました。
今でこそ、連日満員の人気列車ですが、この時は乗客は僕一人。
運転士さん自ら、スポットを案内してくれました。
まだまだ、おおらかな時代だったんですよ。
他にも、当時最新鋭のソニック(踏切事故にも遭ったけど)、また消えゆく車両・キハ52や50系客車(レッドトレイン)にも乗りました。
実家を後にしてからは、天橋立を観光!
砂嘴を実際に歩き、丘から股覗きもして、最後は船で眺めるプランで、満喫しました♪
でも、ここで旅行人生最大のミス!
ロッカーに荷物を置いたまま、改札を通ってしまったのです!
取りに戻る間に、予定の列車は発車!
乗り遅れてしまいました。
結局、後続の列車では間に合わず、寝台特急「北陸」号の寝台券が、フイになりました…。
以後、旅行中でも適度の緊張感を持つようになりましたから、教訓にはなりましたけどね。
ちなみに…、僕もただでは起きませんで…。
真っ暗で怖かったけど、「三大松原(美保・気比・虹)」制覇の一助となりました。
今思えば、某国にさらわれないで、本当によかった!
あと、後続の列車に選んだのは、新潟行きの急行「きたぐに」。
安い、夜行、ってのもあるんですが、実はこの列車、座席・寝台の合造車、583系使用なんです。
さすがに寝台は乗れませんでしたが、この時が唯一の乗車経験になりました。
7日間の旅でしたが、今後、旅を趣味とする上で、様々な体験をすることが出来た、旅だったんですよ。
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