Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

1990年の記憶…

当時18歳。

年が明け、いよいよ受験本番がスタートです。

 

センター試験は、鹿児島大学で。

名前だけは、ちゃんと書きました…

 

二次試験は、旅行を伴います。

まず受けるのは、A日程の筑波大学

宿では同じ大学を受ける受験生と一緒になったので、一緒に行きました。

ちょっと、和んだのを覚えています。

現地のバスが、整理券を取るたびに「チーン!!」って音がするのを、覚えてて。

でも、受験中は後半から、トイレに行きたくなって。

しかも、おっきい方!!

 

試験の合間の時間はわずかしかないので、しゃがんでたら間に合わない!?

最後まで、必死にガマンしました…。

でも、集中できるわけもなく。

ウンを流すことと?相成りました…。

 

後期日程は、信州大学

松本です。

 

宿になった「ホテルサンルート松本」には、レストランとして「スエヒロ5」が入ってて!

綾瀬市在住時、海老名に会ったステーキ店で、よく行ったお店でした。

肉のパワーのおかげか?今度は手応えがありました。

 

受験から解放された帰りは、もう旅行気分!

松本からは「しなの」で名古屋へ。

振り子電車を体験しました。

名古屋から博多は、当時の最新鋭新幹線、猫目の100系

今でも、新幹線の中では一番好きですね♪

そして、西鹿児島まではこれまた最新鋭!

JR九州の「ハイパー有明」で、すっかりいい気分で帰ってくると…

 

家族から懇々と予備校の話をされて、凹んだのを覚えています。

 

でも、届けられたレタックスには、僕の名前がありました♪

舞台は松本へと移ります。

 

松本での下宿先は、ここ。

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「浅間ハイツ」

当時は男性専用、信大生用の宿舎です。

信大はたこ足大学で、学生の半数が2年生になるとに引っ越すので、短期でいられるところとして、重宝されていました。

もちろん、僕らのように卒業までいてもいいわけです。

 

管理人の方や、宿の先輩、出入の電器屋さんが世話を焼いてくれて、引っ越しはスムーズに済みました。

入学式が終わり、親が帰ると、いよいよ一人暮らしの始まり。

ちょっと不安でしたが、すぐに慣れました。

誰にも文句を言われない、「僕の城」気分が、味わえたわけです♪

 

最初は旅行系のサークル「ユースホステルクラブ」に所属して、結構先輩や同級生とも交流がありました。

自転車なんかで遠くに旅行したりね。

上高地の急坂では、死ぬかと思ったけど…。

でも、自転車は「下るために上る」ものだと知りましたね。

「人生下り坂サイコー!!」ってわけです。

 

最初は飲めなかったお酒も、少しずつ慣れてね。

でも、成人するまでは、「自分からは酒を買わない」ってのは貫きましたよ。

 

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