当時18歳。
年が明け、いよいよ受験本番がスタートです。
名前だけは、ちゃんと書きました…
二次試験は、旅行を伴います。
まず受けるのは、A日程の筑波大学。
宿では同じ大学を受ける受験生と一緒になったので、一緒に行きました。
ちょっと、和んだのを覚えています。
現地のバスが、整理券を取るたびに「チーン!!」って音がするのを、覚えてて。
でも、受験中は後半から、トイレに行きたくなって。
しかも、おっきい方!!
試験の合間の時間はわずかしかないので、しゃがんでたら間に合わない!?
最後まで、必死にガマンしました…。
でも、集中できるわけもなく。
ウンを流すことと?相成りました…。
後期日程は、信州大学。
松本です。
宿になった「ホテルサンルート松本」には、レストランとして「スエヒロ5」が入ってて!
綾瀬市在住時、海老名に会ったステーキ店で、よく行ったお店でした。
肉のパワーのおかげか?今度は手応えがありました。
受験から解放された帰りは、もう旅行気分!
松本からは「しなの」で名古屋へ。
振り子電車を体験しました。
名古屋から博多は、当時の最新鋭新幹線、猫目の100系!
今でも、新幹線の中では一番好きですね♪
そして、西鹿児島まではこれまた最新鋭!
JR九州の「ハイパー有明」で、すっかりいい気分で帰ってくると…
家族から懇々と予備校の話をされて、凹んだのを覚えています。
でも、届けられたレタックスには、僕の名前がありました♪
舞台は松本へと移ります。
松本での下宿先は、ここ。
「浅間ハイツ」
当時は男性専用、信大生用の宿舎です。
信大はたこ足大学で、学生の半数が2年生になるとに引っ越すので、短期でいられるところとして、重宝されていました。
もちろん、僕らのように卒業までいてもいいわけです。
管理人の方や、宿の先輩、出入の電器屋さんが世話を焼いてくれて、引っ越しはスムーズに済みました。
入学式が終わり、親が帰ると、いよいよ一人暮らしの始まり。
ちょっと不安でしたが、すぐに慣れました。
誰にも文句を言われない、「僕の城」気分が、味わえたわけです♪
最初は旅行系のサークル「ユースホステルクラブ」に所属して、結構先輩や同級生とも交流がありました。
自転車なんかで遠くに旅行したりね。
上高地の急坂では、死ぬかと思ったけど…。
でも、自転車は「下るために上る」ものだと知りましたね。
「人生下り坂サイコー!!」ってわけです。
最初は飲めなかったお酒も、少しずつ慣れてね。
でも、成人するまでは、「自分からは酒を買わない」ってのは貫きましたよ。
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