ビッグイシューを読みます。
まずは福島のこと。
ある芸術家が、「出来ることをやる」と、作品を制作していました、
「心配しなくてよかったことを、心配しなければいけなくなった」という言葉が、重いですね。
僕らは離れたところに住んでいますが、福島に住むとなると、放射線と身近に付き合わなければなりません。
除染に関するレポートが書かれ、民法学者が政府の態度を、論語の読み方になぞらえて批判していました。
一方で、「学者が専門外のことに口を出さない」姿勢も、自己批判も。
異業種の交流は有意義だと思うが、逆に「門外漢には口を出させない」という雰囲気が、あるのかも知れません。
それでは、コラボレーションは生まれて来ないような気がしますね。
でも、逆に言えば、複数の学問の知識を組み合わせたり、相乗効果を生ませたりするのは、別の技術なのかも知れませんね。
汚染水の海洋投棄も、近いです。
捨てる時は、基準は下回っているんでしょうけど、どうなんでしょうかね。
実は、海洋投棄を急ぐのは、六ヶ所村の処理施設が絡むらしく。
ほぼ同じシステムらしくて、海洋投棄がNoなら、六ヶ所村の施設もNoなるのを、相当心配してるらしいですよ。
でも、薄めようが何しようが、放射能を捨てることには変わらないわけで。
本当は濃度ではなく、総量を管理すべきかもしれません。
そうやって巻き起こる不安から、風評被害が拡大することも、忘れてはなりませんよね。