表ブログの取材として、訪れました。
でも、前から訪れたかったんですよ。
日本最大の古戦場、関ヶ原!
駅には、主だった武将の名前が書かれていますね。
ムードを盛り上げます。
さて、関ヶ原の古戦場は、非常に広いです。
歩きでは全域を回ることが難しく、車では逆に、入りづらい止めづらいところがあります。
なので、レンタサイクル!
駅前の観光案内所「交流館」で、借りることができます。
4時間乗れます。
僕は別に要らないので、普通のを借りましたが、電動アシスト付きもありますよ。
値段は、倍ですが。
コインロッカーも、武将の家紋が!
僕にとって、鹿児島は第二の故郷!
島津義弘公に託して、いざ、出発!!
そうですね~ 町ごと古戦場ですね~
こんな殿中も、楽しいです♪
でも、最初の1時間は道を間違えてばかり。
えらい細い道に迷い込んだり、草ぼうぼうの道を進んだり…。
でも、そのおかげで、こんなポイントを発見!!
ここで30分も道草。
大丈夫?
そろそろ、作戦に戻りましょう。
まず訪れたのが、福島正則の陣跡。
大きな杉の木が、立っていました。
急先鋒として、暴れたそうですよ。
一方、有り難くないレッテルを頂戴したのが、この小早川秀秋。
裏切り者とか、決断力がないとか、…。
もちろん、情勢もあったんでしょうけどね。
ただ、実際の陣は、この山を登った頂上。
この絵が撮れたので、上には行かないことを、あっさり「決断」しました…。
一方、忠義の士と名をはせたのが、大谷吉継。
ここは、押さえておこうと進むと、こちらは平塚為広の碑。
地元・垂井の城主です。
大谷吉継と親交があって、共に戦いました。
薙刀の名手だそうです。
さて、大谷吉継の墓は、山の中腹にあります。
表示は470mですが、山道ですからね~。
彷徨いと道草で時間を消費していましたから、迷いましたが…
行くことにしました。
大谷吉継の墓。
陣跡。
そして、眺望ポイントがあるというので、行ってみると…
またしても、鉄道の誘惑!!
下に、線路があるでしょ。
さらに正面は、新幹線!!
こんな絵を撮るために、またまた30分オーバー♪
後悔は、してませんけどね。
でも、そろそろ“巻き”で行かないと…
ここは、合戦の火蓋が切られた場所。
先方は福島正則!…と思いきや、井伊直政の一計により、家康の四男、松平忠吉が、宇喜多秀家に鉄砲を撃ちかけたのが、先陣だそうです。
さて次は…
鹿児島に縁がある僕としては、やっぱりここを訪れないとですね…。
島津義弘は、敗色濃厚の中、家康本陣に猛然と突撃、そのまま撤退した武勇を誇ります。
「西軍で武勇をとどろかせたのは、この島津義弘と、あとは大谷吉継ぐらいじゃないか?」なんてつぶやいたら、フォロワーさんからツッコミが来て。
「島左近はダメですか?」
こういうリアルタイムなツッコミを、待ってたんですよ!!
たまたま、島左近の陣にいましたしね。
「鬼の左近」として、知られますね。
破格の高禄で、召し抱えたそうです。
さて、石田三成の陣は、こちら。
今は何かの施設になっているようですね。
今までの陣に比べると、ずいぶん物々しいですね。
その石田隊も、数々の裏切りに、サボタージュ?の隊もあって、陣からほど近いこの地で、ついに壊滅。
戦はわずか半日で、終わりを告げました。
さて、勝ったのはこの人ですね。
徳川家康。
最初はここ、桃配山で指揮を執っていました。
この2つの岩をデスクに使い、作戦を練っていたそうですよ。
この桃配山、実は他の陣地からは結構遠くて、自転車を5分も走らせました。
しかも緩い下り坂で、しかも追い風!
残り時間もわずかで、帰りが心配になりますが…。
実は、家康の陣はもう一つあります。
また中心部に帰ったところ!
残り時間は、あと30分。
しかも途中で、携帯の画面が真っ暗になるトラブル発生!
携帯のナビを諦め、持っていた地図を開くと、目印は「歩道橋」!
急げ~!!
上り坂を押し、向かい風を押し、久々に立ちこぎなんかもして、ようやくたどり着いた、「家康最後陣地」
やれやれ…
安堵感の方が、強かったですね。
残り時間は、10分弱残ったかな?
この写真を撮る余裕が、ありました!
関ケ原町レンタサイクル3号車でした~!
鍵を返しに行ったら、「使用時間:3時間58分」
乗り切りましたよ~♪
数々の思い出を胸に、次の目的地、名古屋へ向かいました。