実はこの「寂しい」って言葉、子供の頃や若い頃は、絶対に口には出しませんでした。
一人の方が気が楽だって、思ってたから。
「寂しい」なんて言葉は、女々しい。
意地でも、使わなかった。
強がっていましたね…。
でも、実際に寂しいという状況でも、当時は十分耐えることができました。
それが最近、どうにも耐えられなくなって。
耐性が、落ちているのです。
友と過ごす楽しさ、うれしさを、知ってしまったから。
思えば、数年前ぐらいから、予兆がありました。
交友が急に、激しくなりました。
SNSではコメントも恐れずに書くようになったし、オフ会や飲み会にも参加するようになった。
今は自分で、企画しちゃうほど。
どれも、みんなが楽しそうにしてるのが、見たいから。
僕の力で友達の友達が集まって、新たにフォロワー関係になるのが、見たいから。
コメントだって、こんな反応が来るかな?なんてのを、知らず知らずに予想しながら。
swarmでは、比較的コメントのリプには寛容で、書く量も多い分、どれに書いたか忘れちゃうので、反応がなくてもお構いなしの域まで行っているんですが、Twitterがいけない。
実は今、もっともっと仲良くなりたいフォロワーさんが、何人かいて。
話すととても楽しい!
延々とリプの応酬が続く人、丁寧にこちらの書き込みを聞いてくれる人、短いけれども心のこもった挨拶をくれる人、…。
もっともっと、いっぱいお話ししたいし、もっと親しくなりたい。
多分みんな同性だけど、年の差もあるけれど、それでもやっぱり、親しくなりたいんです。
恋人ではないけれど、近い感情かもしれません。
でも、彼らはみんな忙しいわけで、そもそも浮上してこないこともあります。
そうすると、気になって気になって。
もう、理屈じゃないですね。
前は十分耐えられた「寂しさ」に、耐えられない。
つい、「寂しい…」って、つぶやいてしまう…(心の中でね)。
時には、泣きたいぐらい。
情けないけど。
それでも、まぁ僕は46のオッサンですからね。
一本線を引いた中で付き合うべきなのは、心得てるつもりです。
彼らにとって、オッサンはメインの付き合いにはなり得ない。
脇役で、いいんです。
脇役で、いいんだけど…
欲求不満が、募りますね。
でも…
彼らが元気にタイムラインに戻ってきたときは、普通通りに話しかけたいですね。
こんな感情、見せられません。
かえって、引かれてしまいますから。