(敬称略)
背番号74って、実は首脳陣にも、あんまりいないようですね。
でも、ホークスにはこの企画のためにあるような?方がいらっしゃいます。
小川史(おがわひろし)。
現役時代はショートの他、内外野をどこでもこなすプレーヤーで、選手会長も長く務めるなど、チームリーダーとして、長くホークスに貢献した選手です。
現在、彼の応援歌が、関東地区のチャンステーマになっていますね。
引退後はパリ-グを渡り歩いて、ホークス、オリックスのコーチやホークスのスタッフ、楽天のスカウトも務めるなど、多方面で能力を発揮。
2011年からはホークスのコーチとして、一軍のヘッドコーチから三軍の監督まで、引っ張りだこ。
今は二軍で、内野守備走塁コーチを務めます。
この、2011年以降と、その前のオリックスコーチ時代が、背番号74です。
その前の、ダイエーホークスのコーチの時は、背番号79でした。
実はこの人、背番号が随分変わった選手なのです。
本当を言うと、最初は西武ライオンズへの入団で、背番号は輝かしい、1でした。
しかし、新外国人が来るからと、あっけなく背番号1は奪われてしまいます。
代わりに付けた背番号24も、2年ちょっと。
かの秋山が頭角を現し、背番号24は彼のものに。
代わりにもらった背番号50が、西武での最後の番号になりました。
ホークス移籍後、最初は背番号56。
ここで発憤して、球団は違えど、背番号1を取り戻し、8年間着用しました。
彼のキャリアでも、最も輝いていた時期でしたね。
僕も小川と言えば、背番号1のイメージが強いです。
ところが!
運命のいたずらか、西武から秋山がホークスに移籍。
西武での秋山は、背番号1でしたから…
再び秋山に、背番号を譲ることになりました。
現役最後に付けた番号は、31。
実に5つ、コーチ時代も含めると、7つもの背番号を身につけた男。
それが、小川史なのです。
今なら、グッズを作るのも集めるのも、大変でしょうね。
ただそれ以上に、背番号が作り出すイメージというのを、大切にする選手は多いはずです。
そんな中、背番号の提供に寛容だった、小川選手。
その代わりと言ってはなんですが、西武時代、背番号を譲った、秋山の教育係を仰せつかると、それはもう、厳しくしつけたそうですよ。