(敬称略)
西武、阪神、ロッテで活躍しました。
昔は外国人選手が日本国内で移籍するのは珍しかったですが、最近はウチのサファテも含め、少なくないですね。
日本球界を熟知した、外国人選手は、貴重な存在ではあります。
西武時代はよく打ちましたが、プルヒッターだったこともあって、相手は大きく右へシフトした「ブラゼルシフト」を敷き、打棒は封じられてしまいました。
それどころか、手が滑ってバットがスタンドに飛び、観客をKO!なんてこともあったりして、翌年は残れませんでした。
ちなみに西武での背番号は42。
カブレラの後継と期待されての背番号でしたが、期待値が高すぎたのかも知れません。
最も活躍したのは、4年在籍した阪神。
この時が、背番号67でした。
前年の「ブラゼルシフト」もあるだけに、特に交流戦でどうかとは言われたようですが、今度は克服して、活躍しました。
「シフトを敷くなら、その上を越えればいい」とばかりに、交流戦では印象的なホームランを、何本も打っていますね。
内角にも強かったそうで、相手投手からは脅威だったと思います。
日本への適用には熱心で、特に膝下の変化球を振らないよう、一生懸命練習したとか。
阪神での晩年は、新井良太らに、バトンを譲っていくことになります。
ロッテでの背番号32。
それでも1年目は活躍したんですよ。
ウチの寺原も、ホームランを打たれています。
でも翌年は怪我の治療もあって、途中離脱。
翌年、現役引退を表明したそうです。