エラー番号71。
「NAME文を異なるディスク間で行おうとした」エラーだそうです。
…出しようが、ないですね。
MSX時代後期においても、ディスクドライブは1台しか持っていませんでしたから。
NAME文は、ファイルの名前を変える命令でした。
「異なるディスク間で~」ってことは、別ドライブへの名前の変更が、想定されてたんでしょうね。
今だったら「Copy文」で、名前を変えて別の媒体にコピーできますが、当時な容量がシビアでしたから、一見無駄なこと、出来ない場面もあったかも知れません。
ところで、パソコンを買うと、システムやデータは「Cドライブ」に入ってることが多いですよね。
リスクを避けるために、マイドキュメントなどはさらに隣の「Dドライブ」に移している方も、多いでしょう。
なぜ「C」からか。
実は「Aドライブ」も、「Bドライブ」も、あったんです。
フロッピーディスクドライブという記憶装置が、この2つの記号を占めていました。
通常は「Aドライブ」ですが、高級機には2台目の「Bドライブ」が搭載されていて、ディスク間のコピーができました。
「両ドライブをいっぺんに駆動して、倍のデータを一気に読み出す」が出来たかどうかは、知りません。
2台も持てませんでしたから。
「フロッピーディスクドライブ」
1970年頃に登場。
それまでテープ系の、順方向にしか読み書きが出来なかったメディアを、ヘッドを動かすことで自由な場所に読み書きが出来るようにした、画期的なメディアでした。
実は円盤状の媒体は、その前の1960年代にもあったそうですが、IBMが開発したフロッピーディスクは、ドライブから取り出して差し替えが出来るなど、本格的なリムーバブルディスクメディアの走りでした。
といっても、フロッピーの意味である「脆弱」の通り、当時出ていた8インチ、5インチ(正確には5.25インチ)のディスクはペナペナで、ディスクを読み取る穴もむき出し。
多くは挿しっぱなしで使ったようです。
最初は記録面は片面だけ。
規格では「1S」でしたかな。
両面になると「2」になり、記憶容量を伸ばすために密度を詰めたりすると、
倍密「D」、倍トラック「DD」、高密度倍トラック「HD」と、進化していきました。
各家庭にまで普及する頃には、ほとんどのメディアが「2HD」だったと思います。
また1980年代に、3.5インチフロッピーディスクをソニーが開発。
ジャケットが硬くなり、今まで開きっぱなしだった読取り部分にシャッターが付くなど、信頼性は大きく向上、容量も最終的には1.44MBまで伸びました。
その後は飛躍的に増えた容量需要に追いつけなくなり、高容量のハードディスクやUSBメモリなどが普及したこともあって、今は搭載機もなくなり、古いディスクが出てきても、ドライブがなくてもう読めない!って状態になって、久しいです。
でも僕にとっては、フロッピーディスクは永遠に「高嶺の花」のイメージ、なんですよ!