日曜日は、天ぷらでした♪
手間かかりますよね。
本日も、ウチの巨匠に感謝…
日曜日は、天ぷらでした♪
手間かかりますよね。
本日も、ウチの巨匠に感謝…
東武伊勢崎線の下り電車は、西新井を出ると、大きく右にカーブします。
「西新井カーブ」と言うそうです。
何でも、下ってくる東武の編成が、それは美しく撮れるらしい。
僕は、撮ったことないけど。
でもね…
西新井駅の反対側、手前の梅島側にも、大きな右カーブがあります。
実はここ、駅への進入待ちで、下り電車が停止させられることが多いのです。
西新井付近って、結構な隘路なんですよ。
カーブで電車が止まると、どうなるか。
満員電車が、止まると…
カーブにはカントが切ってありますからね。
カーブの外側と内側に傾きを付けて、安定して走行できるようにするものです。
それなりのカーブなんで、それなりに傾いてて…
そう、
「床が斜めな状態で、立ってることを強いられる!!」
しかも、周りの人に当たらないように!!
…結構、キツいんです。。。
仕事帰りで、疲れた身体だし…
「頼むから、ここでは止まってくれるな…」って、切に願うような場所なのです…。
言わば「裏・西新井カーブ」。
ここでも写真、撮ってみます?
今まで、ここでカメラを構えた方は、見たことがありません…。
昨日(6/11)は、こちらへ
出題ネタも、兼ねてね♪
「BOAT RACE 戸田」
6人の猛者たちの、水上レースです。
うろついて、上で見たり、下で見たり。
でも、例によって勝負は度外視(!)なので、やっぱり屋外がいいですね♪
モーターの爆音は、なかなかの迫力!
レースはは波乱も!
衝突、転覆事故も!
身体、張ってるなぁ…。
買い方?
出題ネタの都合で、単勝「5枠!」
…はないのね…。
ならば、全レース2連単で、1着はすべて5枠!
2着は1レースから、順繰りに。
全くもって、「当たらない」買い方…。
まぁ、情報なんて、見方わかんないしね…。
グッズに走り…。
ボートも、5号艇!
レーサーの命・プロペラ!
もちろん、5号艇!
紐は6色の糸を使ってあって、凝ってる!
これはたまたま黄色♪
次回は3連勝、買おうかしら!?
もちろん、グルメもね♪
このもつ串、なかなかのもんですよ!
何と、“カツ”が売り切れ!!
僕の勝ち運、ここまで!?
(もともとないけど…)
11R、買ってた5-1のオッズが、一桁に!
投資額は取り返せないけど、公営ギャンブル25戦目にして、初の的中!?
ちょっと、色めき立つ…
結果は…
「1号艇、失速…」
上手くいかないもんです…。
結局、5号艇が1着だったのは、この1回だけでした…。
結局、舟券はすべて手元に。
26連敗、“お上品に”継続中です。
まあ、6枠までだし、勝負はしやすいのかな?
ただ一度差が付くと、挽回は難しそうですね。
今日になって…
大切なことを忘れていたことに、気がついた!!
「あやせの守」像
雨や水(綾瀬川)の神様と、僕が勝手に崇めてる神様!
ここにお詣りしなきゃいけなかったか…。
「ボート」だしね…
(敬称略)
一番有名なのは、落合でしょうね。
でも、僕の中では…
「篠塚利夫」
今は改名して、篠塚和典。
芸術的な、“レフト前ヒット”を打つ人でした。
この後、原の内野フライ?のあと、スミスや淡口が返すことが多かった!?
いや、原だって打ってたと思いますけどね。
…印象としては。。。
そうそう、この人も忘れるわけにはまいりません。
「湯上谷ひろ志」
(“ひろ”=立へんに広。本名:湯上谷宏)
90年代、ホークスのサードやセカンド、ショートを守りました。
当時の内野は“ヒロシ”揃いで、
ファースト、藤本 博史
セカンド、湯上谷 宏
サード、森脇 浩司
ショート、小川 史
なんて、4人のヒロシ、4人の異なるヒロシが守ったことが、あったとかなかったとか!?
湯上谷は野球以外も多才で、コーチもやったし、フロントにもいました。
営業もやったし、管理職もやった。
寮長まで務めました。
多分、選手時代かな?
こんなエピソードもありました。
球場のビジター側、三塁側の入りが悪い時代があって。
当時サードを守っていた湯上谷、これは寂しいと、自ら企画してシートを仕立て上げ、
「三塁側からも応援を!」と。
今ではヤフオク!ドームは、一塁側も三塁側もホークスファンでぎっしり!になりましたが、実はこの湯上谷の企画が「火付け役」、かも知れませんよ~♪
当時37歳。
リーマンショックの猛威が吹き荒れ、企業は縮小モード。人減らしモード。
結局、派遣先の会社はすべての派遣を切り、派遣元へ戻されることになりました。
人形町、後に池袋の狭い部屋に、同じ運命の者たちと、たむろする毎日。
もちろん、課題は与えられましたが、悶々としておりました。
中盤、新たな派遣先が決まりましたが、ここは自分には全く合わないところでした。
求められるレベルも高すぎたし、上司はパワハラまがいで、自分には全く合わず。
3ヶ月でうつ病を再発、派遣元からも退職することになりました。
まあ、傷病手当金の手続きは、取ってくれましたけどね。
これから1年半、資金的には助かっており、ありがたいことではありました。
ちなみにこの派遣元も、リーマンショックのダメージは大きく、起死回生の拡大策も実らずに倒産、現存しません。
再びの、失業生活。
ただし、最初に失業した時とは、心構えが全く違いました。
自分なりに課題を見つけて、学習したり、本を読んだり。
就職のためには面接をクリアしなければと、想定問答集を随分作りました。
もっとも、実際の面接ではその通りになんか喋りませんけどね。
あくまで、話の筋道を組み立てるための、原稿との位置づけでした。
あとは散歩に行ったり。
通院、自宅待機を続けて、暗黒の年が暮れていきました。
次の年は、こちら
kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.jp
前の年は、こちら
kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.jp