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書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

思い出の列車のエピソードランキング…

今週のお題「私の〇〇ランキング」

 

今はすっかり、飛行機利用が多くなりましたが…

鉄道は生まれてからずっと好きで、鉄道ファン歴は「年齢-1」年を自認します。

 

今まで、いろんな旅をしてきましたが…

いろんなエピソードがあって。

列車の名を借りながら、エピソードでランキングを作ってみました♪

 

 

5位「白鳥」号

約13時間も走る、日本一のロングラン昼行列車でしたね。

いよいよ廃止が近いということで、乗りましたよ!

2001年だったかな?

 

新幹線で、大阪にスタンバイして。

手にしたきっぷは、「白鳥号 大阪ー青森」

全線走破です。

 

天気はあまり良くなかったんですよね。

それでも、ずっと車窓を見ていました。

約13時間。

 

基本、乗っているのが好きな人です。

確か、時刻表を片手に、過ぎゆく駅と照らし合わせたり。

左側ですれ違いはなかったですけど、後はひたすら、音を聞いてましたね。

 

当時はもちろん、スマホなんかなく。

携帯も出始めでしたが、僕自身が嫌いで、持ってませんでした。

 

でも、「耐える」なんて感じは、全然!

楽しい旅でしたよ!

 

…脚はちょっと、痛くなりましたけどね。。。

 

 

4位「信州」号

上野から長野へ行く急行列車です。

上田が巨匠(母)の実家なので、列車で信越線を走る機会は多く、いわゆる「横軽」の経験は、何度もしました。

ホームに出て、機関車EF63の着脱も見ましたし、駅弁「峠の釜めし」も食べました。

区間は66.7‰(パーミル)という急勾配なので、安全のため、車両の空気バネをわざとパンクさせるので、レールの継ぎ目を通る「ドスン、ドスン」という独特の走行感も、体験しています。

 

多くが、特急「あさま」号なんですが…

1回だけ、急行「信州」号だった年があって。

この年は、「あさま」号の特急券が取れなかったんです。

年によっては、金沢まで行く「白山」号になった年もありますが、本数が少ないので、この時は「白山」号も取れなかったんでしょう。

 

急行「信州」の旅でも、基本的には同じですが…

停車駅が違いますね。

「磯部」駅など、「あさま」なら通過する駅にも停まります。

他にも、169系なので、音が違う、窓が開くので、席から駅弁が帰る、などがありますが、小学生の僕は、そこまで気がつきませんでした。

 

そして、横川駅。

配色としては、東海道線で見る「湘南色」の列車に、機関車がつけられて。

その時は機関車がついた、最後尾の車両に乗り込んで、いつものように軽井沢を目指すんですが…

実は、急行「信州」号には、「あさま」号の189系にはないものがあり…

 

「貫通路」があるんです。

 

もちろん、機関車までは渡れませんが、貫通路には窓があります。

機関車が押してくる姿が、見えるんですよ!

 

それも、真っ直ぐなんて押されません。

機関車が左に揺れ、右に揺れながら、押してくる!!

迫力ありましたね~!

何とも言えない、凄みを感じました!!

 

もちろん、「あさま」号「白山」号で横軽を通過しただけでも、貴重な体験だと思います。

でも、この急行「信州」号での体験が加わったことは、今から思えば非常にラッキーでしたね!

一生忘れられない、思い出の宝物です!

 

 

3位「はやぶさ」号

今の新幹線ではなく、西鹿児島(現:鹿児島中央)から東京までの、寝台特急です。

大学で松本に行き、実家が鹿児島でしたから、乗る機会はあったんですが、実は下りは、全区間通しで乗ったことはなく。

上りは、全線走破があります。

 

乗ったのは、B寝台。

いわゆる「開放型」というタイプです。

個室しか知らない世代、そもそも寝台特急を知らない世代もいますが、僕らの頃の寝台特急は、個室の方が珍しかったです。

 

寝台特急でも、いろいろあって。

そもそも夜に出発する列車だと、最初から寝台がセットしてあって、みんなカーテンを閉めて、引き籠もってしまうんですが、この上り「はやぶさ」号は、西鹿児島発12時頃と、お昼。

寝台は4つ単位になっていたんで、みんな自分の寝台から顔を出して、お喋りしたり、食べ物を分けあったり。

知らない人同士なんですが、こんな交流が、普通に繰り広げられていたんですよ。

 

そう言えば、この時代は男女別でもありません。

暗黙の紳士協定があって、みんなそれを守りつつ、交流を楽しみながら、旅をしていましたね。

 

当時の僕は、まだ20代。

結構可愛がってもらうことが多くて、お菓子とかを随分いただきました。

ありがとうございます♪

女の子ではないですが、当時でも、若い男性は珍しかったんでしょうね。

鉄道ファンではありましたが、自分の世界に籠もる方でもなかったので。

おじさんの他に、おばちゃんもいて、みんなと随分話しましたよ♪

 

この列車、結構遅れたんですよね。

なので、丸一日近く、走ったんじゃないかな?

僕も、特に急ぐわけでもなかったんで、いろいろ話して、聞いて。

全然イライラすることもなく、楽しく過ごせた思い出がありますよ♪

 

 

2位「しんぺい」号

後に立派な観光列車になりましたが(今は水害で不通ですが)、初めて乗ったのは、まだ20世紀。

吉松から人吉まで、普通列車の観光列車で、キハ31を使った列車でした。

単行列車でしたが、一部が畳の小上がりになっていて、特徴がありました。

 


後に指定席が出来るほどの人気列車になりましたが、当時はまだまだブレイク前。

この日も、乗客は僕だけでした。

 

僕自身は、景色を眺めたり、乗り鉄らしい楽しみ方をしていました。

そのうち、運転士さんが声をかけてくれて。

いろいろ案内してくれるというので、お願いしました。

 

今から思えば、サービスとは言え、客との一対一で、声をかけるのは勇気が必要だったでしょうね。

鉄道ファンには、拒否する人もいるでしょうから。

 

運転士さんの案内で、車庫とか駅舎とかを見せてくれました。

矢岳駅の機関庫には、「少し前まであそBoyがいたんだよ~」なんて、教えてくれて。

列車に帰る時、水飲み場の栓を捻ったら、思いのほか水が勢いよく出て!!

顔がびしょ濡れになったのを、運転士さんが笑っていました♪

 

今でこそ、専門の客室乗務員を置いて、サービスに努めるJR九州ですが、最初はこんな手作りだったんですよ。

でも、とても温かい思い出で、今も印象に残ります。

 

 

1位「きたぐに」号

天橋立でいい思いをして、ホームに出てからハッと気がついて!!

「コインロッカーに荷物を忘れた!!」

慌てて戻ったんですが、結局所定の列車には乗れませんでした。

 

この日は天橋立から小浜線経由で敦賀に出て、そのまま金沢まで行って、寝台特急「北陸」号に乗る予定で。

しかも「個室A寝台」を奮発!していたんですが…

 

1本逃した代償は、非常に大きく。

結局、敦賀までしか到達しませんでした。

 

仕方がないので、敦賀で時間を潰します。

もう真夜中なので、お店は閉まっています。

 

気比の松原まで、往復しましたが…

真っ暗で風もあり、ものすごく怖く風景で!!

今から思えば、拉致されなくて良かったんですが…

 

で、敦賀駅に戻って、1時間ぐらい待つと…

やってきました。

急行「きたぐに」号。

大阪からの列車ですが、米原から北陸本線経由で。

確か、敦賀を通過するのは、2時前だったと思います。

 

きたぐに」号は、583系です。

かつては寝台特急電車に使われましたが、今は急行で。

座席車、グリーン車、B寝台車、A寝台車と、多彩なラインナップを揃えていました。

しかも、A寝台は2段式に改造されて、広さがあります。

でも、「自由席」もあるのが、なんともありがたかったですね。

通常、寝台特急とか寝台急行になると、全車指定席でしたから。

 

当時の北陸路は、いろんな特急が走っていましたが、「きたぐに」は1列車だけで、これだけ多彩なバリエーションを提供する、名列車でしたね!

 

確かに、高額な寝台券はフイにしましたが、思いがけず、この583系きたぐに」号に乗れたのは、今ではむしろ、非常にラッキーだったって、思っています。

その後も、「きたぐに」にも583系にも、乗車機会はありませんでした。

 

 

いろんなことをやって、いろんなことをやらかして??ますね。

もちろん、「最新の列車に乗れた!」「高い席を堪能した!」、あるいは「古い車両の乗り納めが出来た」とか、「乗ったことのない路線に乗れた」も、印象に残ると思いますが、こういうエピソードがあると、より深く印象に残ると思います。