京版の「み」は、
「身は身で通る裸ん坊」です。
「無一文になっても、体さえしっかりしていれば、生きていける」って意味になります。
実は調べると、もう一つ意味がありまして。
「貧富や賢さに差があっても、人は自分にふさわしい生き方をしていくものだ」、という意味もあるそうです。
僕で言うと、「うつ病の発症」は、職を失い、信用も失い、財力を失い、友も失う、大変大きな出来事でした。
正直、自殺も試みましたが、結局傷一つつかずに、体は残りました。
それから、4年かけて再就職して、3年弱働いて、また再発。
今の職に就くまでに、8年かかりました。
もうすぐ、7年になります。
発症時からは、15年が経ちます。
失ったものの大きさからしたら、上出来の人生を歩んでるんじゃないかな?
役職にも就いてないし、給料も安いし、恋人もいないし。
でも、仕事ではちょっと人にはない能力を発揮し、何系統もの友人関係を持ち、多方面に趣味をもつ、こんな自分になるなんて、15年前の僕には、とても考えられなったと思います。
裸一貫から、ここまでなったと、言っていいと思います。
ただ、もう一つの意味での「ふさわしい自分」かというと、まだまだ突き詰める余地はあると思っています。
公私、ともにね。