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書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

背番号63の記憶…

(敬称略)

ホークスには、笠原大芽という選手がいます。

福岡県出身、22歳の若者です。

お父さん、お兄さんも、元プロ野球選手。

野球一家に育っています。

 

左投右打、というのは珍しいかも知れません。

お父さん、お兄さんとも、右投右打でしたから、影響があったかもしれませんね。

左腕は貴重ですから、チャンスはあるでしょう。

今年は6月に一軍昇格を果たし、6度ほど投げました。

 

チャンスを生かして欲しいですね!

 

ホークス以外だと、新庄剛志かな。

背番号63。

 

攻守とも類い希なる能力とセンスを持っていましたが、やっぱスター性がありましたよね。

両論あったかもしれませんが、ファンには愛されましたよね。

 

メジャーにも行きました。

言動などは型破り、お騒がせなところもありましたが、当時日本人にとって、メジャーはまだまだ未知の場所。

彼の言動で、日本人はメジャーの何たるかを、一緒に学べたんじゃないでしょうか。

 

日本に戻ってからは、日本ハムで3年間プレー。

北海道に渡った同球団を、大いに盛り上げました。

 

引退後はタレントでもありますが、現役時代から、プロデュース、クリエーターとしての才能は確かだったようで、特に日本ハム時代は、趣向を凝らしたパフォーマンスを行い、ファンを楽しませました。

北海道へ行ったとはいえ、まだまだ地味な球団だった日本ハムファイターズ

彼の尽力もあって、今や随分魅力ある球団になったのではないでしょうか。

 

その一方、新庄は社会貢献活動にも積極的で、地震や災害時の募金の呼びかけや、自らも寄付活動などを、多数行っています。

 

ちなみに、日本ハムでの背番号は、1でした。

でも、僕としては阪神で彗星のごとく現れた、背番号63が印象深いですね。

当時は、阪神ファンでしたし。

ただ、本人にもそんな思いがあったようで。

現役最後の日は、この「背番号63」をつけて、試合に臨んだそうですよ。


そう言えば、こんなこともあったそうで。

新庄がデビューし立ての頃、あやかろうとした自治体がありまして。

山形県新庄市奈良県北葛城郡新庄町(当時)、そして岡山県の恵庭郡新庄村。

三市町村は「新庄会」を結成して、勝手に?応援しました。

でも、実際にナイターに協賛して「新庄ナイター」を開催、物産品などを配ったほどですから、かなり真剣に応援したそうですよ。

そんな三市町村を、新庄自身も実際に訪れていて、岡山の新庄村には、手形を残している!

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このテの応援に、ここまで肩入れするのは珍しいし、よい人柄が出ていますね。

 

僕も、きっぷでも送ればよかったかなぁ…。

新庄駅」は山形にあるし、東武には「剛志」駅もあるのです…。