浦佐駅を訪れる機会がありまして。
東口を降り、17号線方面のほど近くに、銅像はあります。
田中角栄像。
郷土の名士です。
いろいろ言われたけど、郷土のためには努力を惜しまなかった人でした。
今で言うところの、「ニイガタ・ファースト」を、本当に実行した人と、言うべきかも知れませんね。
田中角栄氏は同地の…じゃなくて、刈羽郡二田村(現:柏崎市)の出身。
ずっと海側の村でした。
直線距離でも約42km、鉄道なら上越線で長岡、そこから信越線、柏崎から越後線を乗り継ぐ旅。
高速道路でも、長岡から北陸自動車道を走らなければなりません。
何故こんな遠い所に…?
当時、同じ選挙区だったのです。
旧新潟3区。
長岡を中心に、柏崎、三条、小千谷、そして魚沼と、広大な選挙区。
当時は中選挙区で、突出して広いわけではありません。
1位でなくても当選できたとは言え、当時の先生方は、広い選挙区をくまなく運動しなければならない。
大変だったのですね。
角栄氏にとっては、魚沼の地は辺境も辺境。
でも、無視することなく働きかけた結果、魚沼でも票が伸びるようになり、氏の勢力は盤石になっていったと、聞いたことがあります。
彼にとって、魚沼の地は一つの目標の地、だったのかも知れませんね。
ちなみに、銅像の上には屋根が付いています。
当地は豪雪地帯。
「冬、雪に埋もれてかわいそう」と、娘の田中眞紀子氏が発案し、取り付けられたそうです。
娘の感情としては、もっともだと思います。
ただ、雪に埋もれてもなお、手を上げて前を向く姿も、男らしく、政治家らしい姿のような気も、少ししました。