当時21歳。
結局、だらけきった生活は直らず。
1コマ目だった英語が単位にならず。
留年となりました。
まぁ、絶望でしたね。
お先真っ暗。
それでも、生活していかなければなりません。
英語は、全部出ましたよ。
翌年、「優」くれたけど、要らなかったな。
また「不可」にしてくれと、言いにいこうかと、散々悩んだけど。
英語だけ取ればよかったので、あとはアルバイト。
郵便局では朝夕のダブルヘッダーもやりました。
アルバイトでは、区分機を扱える人は、ほんの一握り。
それ以外の手区分などもこなせましたから、結構意気に感じてやってました。
パソコンも、前年からプログラミングにいそしんでいました。
実際にキーを叩く以前に、紙に書いて設計しとかないと、結局途中で行き詰まって、大きな修正が必要になる。
多分この時、体験しています。
下宿先でも電話番のアルバイトをやってました。
2年生から。
同級生や、院に進んだ先輩とも、談笑する機会がありました。
この年までは。
みんな、先に卒業しちゃうんですよね。
留年で失ったもので、一番痛かったのは、このことかも知れません。
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