Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

書かない勇気…

お断りしときますが…

このエントリを書くきっかけになった記事が、何なのかは、明かしません。

僕が明かしたら、意味がないから…。

 

明かさないけど、そのニュース記事に触れて、こんな風に感じました。

「ニュースソース側の、思う壺じゃね??」

 

すなわち、そのニュースを報道機関が取り上げることで、ニュースソース側が持っていた意志が、広く一般に伝わることになる。

逆にニュースソースに相対する側は、ニュースソース側のレッテルを貼られることになり、実は被害を被ったのではないか、と。

 

すごく、怖いことだと思いました。

報道されることが、自らの利益を損ねる結果になるかも知れないからです。

厄介なのは、たとえばその後、相対した側が報道を拒否すると、拒否した事実を広く伝えられてしまい、かえって不利になる点です。

 

報道される側は、かなり無防備な状態での対応を、余儀なくされてるような気がします。

 

人や法人からのニュースでなくても、犯罪や自殺関係のニュースなどでは、報道がその方法を広めてしまい、かえって被害が増えてしまった例があると、聞いたことがあります。

 

これも、具体例は出さない方がいいですね。

 

報道機関の影響は、国民にとって、非常に大きい。

報道によって事件を知り、痛みを知り、また情報を得て、よりよい生活につなげることが出来ます。

「第四の機関」という言い方をする方もいます。

 

報道の自由」は、尊いものです。

先の太平洋戦争で、報道機関が国を翼賛してしまった、反省もあるでしょう。

 

でも、何から何まで報道してよいのかというと、僕は違うと思う。

報道することで、報道される側に、ひいては社会に、どんな影響があるのか。

慎重に見極める必要が、あると思うのです。

 

とは言え、報道はスピードが命、とも言われます。

全力で突っ走らないと、記事には出来ないのかも知れない。

 

それでも、時には「書かない勇気」を、持ってもらいたい。

 

一度発した言葉は、訂正することが出来ないから。

いくら訂正放送をしても、最初の報道を聞いた人が、それも聞くとは限らないから。

何より、報道によって与えた影響は、修復が極めて困難だから。

 

 報道機関は民間ながら、国の機関にも匹敵する、重要な機関ですから、あえて書かせていただきました。