Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

背番号99+の記憶…

(敬称略)

このシリーズの大詰めは、背番号100以上の選手を取り上げます。

 

100以上の背番号と聞いて、まず思いついたのが、ホークスの山本穣。

背番号113。

 

当時の100番以上はスタッフの番号で、彼はブルペン捕手を務めていました。

実はこの人、ある選手に活躍のきっかけを与えています。

当時伸び悩んでいた大砲、大道典嘉に、中距離バッターへの転向をアドバイスしたのです。

それがきっかけで、大道は左殺しの職人として花開き、長く活躍しました。

ところが、当の山本氏は2000年に急死。

大道はその死を悼み、ヘルメットに「113」のステッカーを貼りました。

後に禁止令が出てしまいますが、大道にとって、彼は野球人生を大きく変えた、救世主だったのです。

 

育成制度が始まると、3桁番号は育成選手が付けるようなりました。

ホークスでの育成契約第一号は、投手の西山道隆と、打者の小斉祐輔

西山が122番、小斉が121番を付けて、日々練習に取り組んだ結果、2人とも支配下登録を勝ち取り、この番号を卒業しました。

 

しかし、実は2人とも、もう1つの3桁番号を持ちます。

西山は残念ながら、一軍で勝ち星を挙げることが出来ず、3年で引退。

以後は104番を付けて、用具係や打撃投手を務めました。

今もマネージャーとして、チームを裏から支えています。

小斉は楽天に移籍した際、一度支配下落ちを経験、143番で再起を期しました。

結果、再び支配下登録を勝ち取り、背番号70を手にしています。

現在は引退して、仙台の牛タン店で修行中とのこと。

いずれ独立して、福岡で開業を目指しているそうですよ。

 

育成から上がった選手で、最も活躍している一人に、千賀滉大がいますね。

名古屋のスポーツ用品店店主の推薦で指名された千賀は、背番号128番で、小川監督率いる三軍で、日々修練を積みました。

剛速球が花開いて、一軍で抑えを任されるまでに。

でも、一度は天狗になったか?

怪我もあって、しばらく活躍できない年がありましたが、先発として1軍に戻ってからは落ち着いて、今やなくてはならない投手になりました。

 

一方で、支配下登録を得られないまま、球界を去った選手もいます。

そのうちの一人、安田圭祐。

背番号121。

アイランドリーグからホークスに入ったものの、リハビリなどもあって、思った活躍が出来ず。

2014年まで、4年間在籍しましたが、ついに支配下の声はかかりませんでした。

僕が雁ノ巣に見に行ったときは、こんなファインプレーを見せてくれたんですけどね。

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20180212014917j:plain

ちゃんと、捕ってるんですよ。

 

f:id:kiha-gojusan-hyakusan:20180212014906j:plain

これは僕が、初めてフライを「撮った」写真。

こんなきれいに撮れたのは、初めてで。

なので、印象が強い選手だったんですよ。

 

この写真を撮ったのは、2014年9月14日。

シーズンはあと2週間ちょっとしかありません。

本当に、最後の最後の活躍だったんですね。

一軍での活躍、見たかったなぁ…。

Wikipediaには、退団後の消息は載っていないんですが、どこかで、いい人生を送っていて欲しいですね。

 

ちなみに、今年の育成1位は、尾形崇斗。

背番号120。

18歳の若者は、「わかってても打てない投手になりたい!」

いい意気込みですね!

 

今年は彼以下6名の選手が、育成ドラフトでホークスに入団しています。

既に在籍する選手も含め、彼らが支配下登録を勝ち取り、晴れて2桁の背番号を手にする日が来ることを祈りつつ、このシリーズの締めくくりといたします。

 

ありがとうございました。