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書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

背番号89の記憶…

(敬称略)

もちろん、この人です。

王貞治

ホークス監督時代の背番号89。

 

王さんといえば、背番号1。

その王さんが、ホークスにやってくる!

 

そりゃあ、驚きでしたよ。

素人目には、ホークスは巨人と縁があったようには思えませんでしたから。

 

そして、その背番号が、大問題。

背番号1は、前年に来た秋山がつけていました。

剥奪??

 

しかし、王さんが選んだ番号は、この「89」でした。

「野球」、「破竹」に掛けたというこの番号。

この選択は、博多っ子の心をつかんだ、最初のエピソードでした。

 

それから、王監督はホークスとともに。

王さんひとりで、そんな急には強くなれないから、最初は弱かった。

生卵を投げられたり、亡くなった奥様の墓を暴かれたり(!!)もしたけど、王さんを慕って、徐々にいい選手が集まるようになりました。

城島のように、王さんに憧れて大学進学を翻した選手もいるし、外国人選手でもいい選手が集まり、外れは少なくなった。

「世界の王」、ですからね~

 

徐々に力を付け、1999年、2000年と、連覇!

以後、Bクラスはほとんどなく、ホークスの時代、“鷹の時代”を、築き上げていったのでした。

 

ただ、最後の2008年は、最下位でした。

涙、涙の最終戦でしたが、 これとて、「後任の秋山監督が指揮を執るには、前年最下位の方が、やりやすいから」なんて、言われたもんでした。

そこまで、王さんの人柄は、ホークスの、ファンの、そして福岡の人の心に、刻まれていたのです。

 

それでも王さん、実はかなりの頑固者だそうで。

曲げない。

でも、監督業では他人の意見を聞き、失敗にも学びながら、名監督へなっていったそうですよ。

 

頑固者と柔軟性。

両方持ち合わせていたのですね。

 

実は王さん、胃がない。

手術で、摘出しているのです。

 

監督業は胃に負担をかける職業と言われます。

長年の労苦が、ダメージを与えていたのでしょうか。

でも、もう何年もお元気で、現在は会長として、対外活動や外国人のスカウトなど、ホークスを支えてくれているのです。

節制、されてるんでしょうね。

 

今でも、ビックゲームや鷹の祭典などでは、ダグアウトに現れたりしますね。

孫オーナーも無類の野球好きですが、二人談笑する姿を、よく見かけます。

 

「ON」、「世界の王」、彼の称号はいろいろありますが、その中に「ホークスの王監督」というものがあるのが、ファンにとっては代えがたいほど、うれしいことなのですよ!