Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

背番号60の記憶…

(敬称略)

実はこの企画、60番台が一番難しいんです。

70番台以降は監督、コーチがいるので、その現役時代を書けます。

90番台は、何人か選手もいますし。

若い選手でも、60番台を付けて、なおかつ書けそうなネタがある人は、少ないのです。

 

大いなるチャレンジ第1弾は、それでも何人か選手がいますね。

西武の中村剛也とか。

おかわり君」ですね。

 

究極のホームランバッターと言われ、怪我の年を除けば、コンスタントに長打力を発揮。

相手チームからすれば、怖いバッターです。

ずんぐり形で、体重は100kgを超えますが、脚力は意外とあって、

「100kg超の運動会があったら、間違いなく1位」なんて言われたとか言われないとか。

 

…僕も、見習おうかしら。。。

 

ホームランバッターと言えば、この人を忘れてはいけません。

南海ホークス門田博光

僕が生まれる前からホークスに在籍して、長距離砲として活躍。

567本ものホームランをかっ飛ばしました。

一度、アキレス腱を切ったことがあって、その後は足に負担がかからないように、さらにホームランを狙いに行ったってのは、本当の話かも知れません。

 

背番号は27、44と付けていますが、僕が印象が深いのは、1983年以降の60。

プロ野球チップス」のカードも、60番でしたよ。

 

背番号を60にした1983年、門田はホームラン王を取っています。

1988年にも44本でホームラン王を取りましたが、この時40歳。

この年にしてのホームラン王は快挙中の快挙で、「不惑の大砲」などと呼ばれて、話題になりました。

 

しかし、この年にホークスは福岡へ移転。

門田は福岡へは行きませんでした。

家庭に事情もあったそうで。

子煩悩なのです。

それの事情が解消された1991年、門田は福岡へ渡りました。

そして、ホークスで現役を終わりました。

 

 

ホークスは歴史ある球団です。

近年は王会長をはじめ、孫オーナーや秋山前監督、工藤監督らが、チームを牽引していますが、その前の根本さんや杉浦さん、野村さん、ブレイザーさんなど、忘れてはいけない選手、監督らが、たくさんいます。

 

門田博光さんも、もちろんその一人です。