Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

2003年の記憶…

当時31歳。

前年から低下していた精神状態は、さらに悪化していました。

 

常に、自分を呪っていたと思います。

ダメなヤツ、死ぬべきだと。

自殺方法なんかも、本気で考え始めて…。

最悪でした。

寝て過ごす休日も多かったし、知らず知らず、酒も増えました。

 

それでも、勤務は休まずにいました。

 

ここで、思いも寄らなかったことが起こります。

 

「転勤+昇進」

中規模局への異動でした。

 

とは言え、慣れた環境から知り合いが誰もいない局へ、しかもなったことのない役職までついて。

既に相当なうつ状態だった僕には、とても耐えられる変化ではなかったんです。

 

「昇進うつ」って、本当にあるんですよ。

しかも表向きは喜ばしいことだから、なおさら…。

 

「転勤」、「昇進」、「うつ」

どれか一つでもなかったらと、今でも思います。

 

休み明け、だったかな?

どうにも窮してしまって、夜も眠れず、押し寄せてくる自責の念。

退職して、そのまま死のうと、決意しました。

でもその前に、一度だけ局に電話してみよう…

 

電話は…、出ない…。

 

これで、覚悟しました。

この後は、破滅に向かって一直線。

 

結果は…

 

まぁ、コレ書いてますからね…。

キズ一つ、付けられず。

人間、そう簡単には死ねないのです。

 

ただ、両親が駆けつけるのが、あと1時間遅かったら、夜空の星を取りに、帰らぬ旅に出ていたかも知れません。

 

 

ちなみに、電話に出なかった局には、何の落ち度もありません。

後からわかったんですが…

 

かけた電話番号が、間違っていたのです。

 

結局、このまま退職となりました。

懲戒を、って申し出ようとも思いましたが、自己都合退職にしてくれて。

退職金はいただけました。

 

一人暮らしの湯河原も、引き払い。

草加にある、実家に引き取られることになりました。

 

しばらく、放心してましたね。

16時間も寝たり。

精神病院も通ったけど、あんまり熱心じゃなかった。

とにかく「自分を罰したい」

こんな感情が、僕を支配していました。

 

今、これを書いている“今の僕”も、結構うつがキツく出ていて、頓服のお世話になったりしてます。

 

でも、書いててわかりますが、今よりあの頃の方が、ずっとツラい。

 

今は当時に比べて、よい医者もいるし、効く薬もある。

職場のサポート体制もある。

僕自信も知識がついたし、自分なりの経験もした。

 

そして何より、

「一人じゃない」

 

これが、大きいのです。

恋人や奥さんでは、ないけれど…。 

 

最悪の事態が起こるのは、いくつもの悪い要素が、すべて重なったとき。

一つでも手当てすれば、最悪の事態など、そうは起きないのです。

 

でも、そのことに気づくのは、もっとずっと後のことになります。

 

 

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