Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

1996年の記憶…

当時24歳。

配属先が決まったのは、3月だったかな?

「湯河原郵便局」でした。

 

地域を代表する区分局、ではないにしても、それなりの規模があった松本郵便局よりも、かなり小さい局です。

そもそも、「湯河原ってどこ?」

ピンときませんでした。

 

今回も、一人暮らしになります。

近さを取って、隣の真鶴駅に近い、それなりのマンションにしたけど、「新人ごときが…」と、反感を買ったかも知れません。

でも、局区内で、自転車で行ける範囲に住むことは、後々他の局員からも重宝されるんですが。

 

鉄道的には、天下の東海道線沿線でしたね。

113系という、賑やかな電車が席巻していました。

通勤にも使いましたが、小田原やその先に出るときにもね。

その7年もお世話になる、身近な電車になりました。

 

仕事開始。

先輩局員は、おっかない2人組がいて。

中々馴染めずにいました。

24時間、緊張しっぱなしでしたね。

家に帰っても。

 

その後、新人研修では国立の研修所に。

暑くてねぇ~

年が上だったことと、やっぱり小さい局の人が少なかったので、あんまり交流は広げられませんでしたね。

 

それでも、バイトの経験から、仕事はとっかかりがあったのが、せめてもの救いでした。

でも、窓口業務は始めての経験で。

「お金が、合わない!!」

数十円過剰だったり、逆に不足だったり。

多分、この年、翌年ぐらいは、一度もお金は合いませんでした…。

 

「数年前入った先輩は、一度もお金を外したことなかったんだぜ!」

ハイ、すごいです…。

 

こんなことも。

ある時、10,800円も不足になったことがありまして。

いくら探しても出てこないし、そもそも記憶なんかしてる余裕なくて。

あんまり出てこないんで、任意弁償して帰ったら、次に切手箱を使う先輩に、こっぴどく怒られました。

そんな計算が合ってもいない切手箱で、自分の業務をするのはごめんだと。

えらい、凹みました…。

 

そしたら数ヶ月後、横浜税関から、過剰となった収入印紙が、送られてきたのです。

 

今は違いますが、当時は外国からの税付き郵便物の税額は、売り物でもある収入印紙を台紙に貼って、納付することになっていました。

その時の金額は、1,200円。

1,000円×1枚、200円×1枚貼るところを、10,000円、2,000円が、1枚ずつ貼ってあったんだそうです。

差額はぴったり、10,800円!

そうだったのか…。

 

しかも、扱ったのは僕じゃなかった。

補助に入ってくれていた先輩が、一桁間違えて、収入印紙を貼っていたのでした。

 

その時の気分、ほっとしたような、訳のわからないような気分でしたよ。

もちろん先輩なんで、別に文句も言いませんでしたが、その後気を遣ってくれたのか、それまであまりよくなかった先輩との関係は、好転しましたよ。

 

冬には初めてのボーナスが出ていますが…、何に使ったのかは覚えていません。

それほど、仕事面で濃い一年だったのです。

 

ちなみにこのころ、実家は厚木にあって。

たまに帰ることがありました。

帰ると、車の運転の練習をさせられて。

「死出の旅路…」なんて言いながら。

周囲は冗談に取ったようですが、本人は全然冗談なんかじゃなった。

車から降りると、背中からお尻から腿から膝から、冷や汗びっしょり!

何かにつけ、緊張感のまっただ中にいた、一年でした…。

 

 

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