Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

1994年の記憶…

当時22歳。

1年留年の、辛い年を終えて、最終学年を迎えました。

 

が、

真に辛い年は、この年でした。

 

元々、社交性などなかった僕にとって、ほとんど交流のなかった1学年下の人たちと、一緒に研究するのはしんどかったんです。

 

就職活動も、ほとんどせず。

一度面接に上手く行かなかったら、それっきり。

そもそも、情報がなかった。

なにも。

同級生が、卒業してしまったから。

1年棒に振ったことよりも、このことの方が、遥かに大きなダメージだったのです。

 

程なく、大学には行かなくなりました。

アルバイト中心で、あとは好きなこと、してましたね。

この頃やってた、BASICやマシン語のプログラミングは、後に生きることになりますが。

 

あとは…、

 

僕、自転車を少し、かじってまして。

時間に任せて、丘の上の城山(じょうやま)公園に上ったり、暗い中で不気味に光った、奈良井川を遡ったり。

 

ある時…。

 

ふと、我に返りました。

「来年、どうする?」

 

このまま行けば卒業できないので、来年も学費が発生します。

既に1年余計に学費を支払わせている身。

それは何としても避けなければならないのではないか?

 

もう10月。

就職は絶望的。

でも、住むところはそのままいられそうだし、郵便局のバイトでも、何とか食っていける。

就職は出来ないまでも、卒業はしよう。

これが、目標になりました。

 

恥を忍んで大学に戻り、研究を再開。

研究と言っても、C言語でのデータベース作りだけど。

辛さを堪えながら、大学へ通いました。

バイトも、続けながらね。

 

前半は戸惑い、中盤は厭世的でしたけど、後半は歯を食いしばった、一年でした。

 

 

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