当時22歳。
1年留年の、辛い年を終えて、最終学年を迎えました。
が、
真に辛い年は、この年でした。
元々、社交性などなかった僕にとって、ほとんど交流のなかった1学年下の人たちと、一緒に研究するのはしんどかったんです。
就職活動も、ほとんどせず。
一度面接に上手く行かなかったら、それっきり。
そもそも、情報がなかった。
なにも。
同級生が、卒業してしまったから。
1年棒に振ったことよりも、このことの方が、遥かに大きなダメージだったのです。
程なく、大学には行かなくなりました。
アルバイト中心で、あとは好きなこと、してましたね。
この頃やってた、BASICやマシン語のプログラミングは、後に生きることになりますが。
あとは…、
僕、自転車を少し、かじってまして。
時間に任せて、丘の上の城山(じょうやま)公園に上ったり、暗い中で不気味に光った、奈良井川を遡ったり。
ある時…。
ふと、我に返りました。
「来年、どうする?」
このまま行けば卒業できないので、来年も学費が発生します。
既に1年余計に学費を支払わせている身。
それは何としても避けなければならないのではないか?
もう10月。
就職は絶望的。
でも、住むところはそのままいられそうだし、郵便局のバイトでも、何とか食っていける。
就職は出来ないまでも、卒業はしよう。
これが、目標になりました。
恥を忍んで大学に戻り、研究を再開。
研究と言っても、C言語でのデータベース作りだけど。
辛さを堪えながら、大学へ通いました。
バイトも、続けながらね。
前半は戸惑い、中盤は厭世的でしたけど、後半は歯を食いしばった、一年でした。
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