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Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

1986年の記憶…

前の年は、こちら

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.jp

 

当時14歳。

中学3年生になりました。

 

部活・弓道も、最終学年。

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でも、最後まで、全然当たらなかったですね。

多分、10射のうち5本当たったこと、なかったんじゃあ!?

 

塾にも行ってましたね。

高校受験ですから。

「鉢巻きを洗うな!」って言われてたので、そのまま使ってましたけど、親は汚いと、洗いたかったようですね。

でも当事者からすれば、高校に落ちるわけにはいきませんから、鉢巻きにもすがるような思い、だったんですよ。

 

部活も引退して、勉強に精を出すべき時期。

でも、結構遊んでましたね。

 

といっても、街へ出て遊ぶような、お金も度胸もなかったんで、MSXというゲーム機兼パソコンを、いじり倒してましたね。

 

ソフトも買いましたけど、お金はなかったので、ごくわずか。

そもそも、一つのソフトを極めたいタイプだったので、結果的に本数は少なくて済みました。

代わりに、当時の雑誌「マイコンBASICマガジン」などに、他人が投稿したプログラムが載ってたので、それを打ち込んで遊んでましたね。

印刷されたプログラムを打ち込み、デバッグし、遊んでみて、気になるところは改造してみたり。

これだけでも、プログラムの勉強には大いに役立ち、多くの経験も積めました。

人の書いたプログラムは、貴重なノウハウの宝庫、なんです。

 

マシン語に初挑戦したのも、この頃だったかな?

雑誌のプログラムにも、マシン語を使ったものが、結構あったんです。

でも、プログラム上では16進数の羅列で、何をしているのかはわからない。

なので、興味はありました。

動作は高速!ですしね。

 

ただ、アセンブラを買うほどの余裕はなかったので、ホント手探り。

極めるのはずっと、後の話です。

でも将来には、マシン語でプログラムを組んだことも、ありましたよ!

 

ゲームも出来て、プログラムも組めた、MSX

その後の人生を考えると、この時期からプログラムに出会えた、触れられたのは、ものすごく大きいことでした。

当時は遊びだったかも知れないけれど、その後の人生において、大きな武器になったのです。

 

もし、与えられたのがファミコンだったら、大量にゲームソフトがありますから、自分でプログラムしようなんて発想は、出なかったかも知れない。

だとすると、今の職には就いていなかったかも知れませんね。

 

次の年は、こちら

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