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kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.jp
当時14歳。
中学3年生になりました。
部活・弓道も、最終学年。
でも、最後まで、全然当たらなかったですね。
多分、10射のうち5本当たったこと、なかったんじゃあ!?
塾にも行ってましたね。
高校受験ですから。
「鉢巻きを洗うな!」って言われてたので、そのまま使ってましたけど、親は汚いと、洗いたかったようですね。
でも当事者からすれば、高校に落ちるわけにはいきませんから、鉢巻きにもすがるような思い、だったんですよ。
部活も引退して、勉強に精を出すべき時期。
でも、結構遊んでましたね。
といっても、街へ出て遊ぶような、お金も度胸もなかったんで、MSXというゲーム機兼パソコンを、いじり倒してましたね。
ソフトも買いましたけど、お金はなかったので、ごくわずか。
そもそも、一つのソフトを極めたいタイプだったので、結果的に本数は少なくて済みました。
代わりに、当時の雑誌「マイコンBASICマガジン」などに、他人が投稿したプログラムが載ってたので、それを打ち込んで遊んでましたね。
印刷されたプログラムを打ち込み、デバッグし、遊んでみて、気になるところは改造してみたり。
これだけでも、プログラムの勉強には大いに役立ち、多くの経験も積めました。
人の書いたプログラムは、貴重なノウハウの宝庫、なんです。
マシン語に初挑戦したのも、この頃だったかな?
雑誌のプログラムにも、マシン語を使ったものが、結構あったんです。
でも、プログラム上では16進数の羅列で、何をしているのかはわからない。
なので、興味はありました。
動作は高速!ですしね。
ただ、アセンブラを買うほどの余裕はなかったので、ホント手探り。
極めるのはずっと、後の話です。
でも将来には、マシン語でプログラムを組んだことも、ありましたよ!
ゲームも出来て、プログラムも組めた、MSX。
その後の人生を考えると、この時期からプログラムに出会えた、触れられたのは、ものすごく大きいことでした。
当時は遊びだったかも知れないけれど、その後の人生において、大きな武器になったのです。
もし、与えられたのがファミコンだったら、大量にゲームソフトがありますから、自分でプログラムしようなんて発想は、出なかったかも知れない。
だとすると、今の職には就いていなかったかも知れませんね。
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