Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

1979年の記憶…

前の年は、こちら。

kiha-gojusan-hyakusan.hatenablog.jp

 

当時7歳。

年明けに父の転勤が決まったらしく、3月まで父は単身赴任していたと記憶しています。

 

この時、怖い思いをしました。

 

ある冬の夜。

突然、けたたましいサイレンが!

窓を見たら、真っ赤で!

窓を開けると、正面のお店が、赤々と燃えていた!!

 

その店と家との距離は、200mぐらい。

今でこそ、その地点と家の間には、他の店もあれば家もあります。

でもその当時は全く何もない、空き地だったんです。

 

その夜は特に風が強い夜で。

火の粉が飛んできて、延焼する恐れがありました。

しかも、父は前述の通り、単身赴任中。

母と僕と弟で、震え上がりながら、逃げる準備をしました。

 

翌朝…。

燃えた店は全焼して、ひん曲がった骨組みだけが、残っていました。

隣の店にも延焼して、2階部分は黒焦げ。

学校への通り道に近く、嫌でも目に入って…。

焦げた臭いもしました。

当時まだ1年生。怖い思いは1ヶ月ぐらいは続きました。

 

後から聞きましたが…

原因は、石油式の風呂釜の、空焚き。

確か、風呂の栓がずれてて水が漏れ、結果的に空焚きになったと、聞きました。

その店というのが、実は文具店。

店には燃えるものが、わんさかあったわけです。

隣は洋品店で、こちらも。

死傷者が出なかったのが、救いでした。

 

ちなみにその文具店、場所を変えて、今でも営業しています。

 

3月になると、否が応でも引っ越しを意識せざるを得なくなりました。

寂しさや不安、いろんな感情が、入り交じってたんでしょう。

近所でよく遊んでもらったお兄ちゃんと、ケンカしちゃったりして。

小学1年生の子供には、転居・転校は大きすぎる出来事、だったんです。

 

その一方、あんまり上手くいってなかった学校からは、強制的に離れることになった。

実際、行った先の学校の方が、最初はちょっと苦労したけど、先生は打って変わって、愉快で楽しい人でしたし、仲良くしてくれる人もいました。

「既に関係が出来上がっているところに単身飛び込んで、新たな関係を築かなければならない」

転校というのはなかなか難しいイベントではあるんですが、環境とともに自らを変えるチャンスでもあるのかな、と学んだのが、大きなことでもあったんですよ。

 

4月。

1年ちょっと住んだだけの新築を後にして、向かったのは神奈川県綾瀬市

国分寺台という住宅街の、借家でした。
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サッシは木製。

トイレも和式でした。

それまでは、洋式です。

 

幼稚園の時は、和式トイレが怖くて出来なくて、随分ガマンしましたが、この前年、あることがきっかけで、和式トイレが使えるようになっていました。

父の実家で、父が和式トイレでしゃがんでいるのを、いたずらで開けちゃったんです。

怒られましたけど、「ああ、こうやってすればいいんだ~♪」ってね。

 

でも、おしっこの方が、なかなか枠に命中しなくてねぇ…。

両用式とは言え、和式トイレは細長いので、真っ直ぐ狙わないと、すぐはみ出してしまうんです…。

しかも、ノズル?の特性上、右に曲がりやすいので…

 

会社の保養所がある、葉山ではこんなことをしてますが…
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この後、クラゲの攻撃にまともにやられて、痛い思いをしました…。

 

次の年は、こちら

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