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書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

背番号

背番号72の記憶…

(敬称略) ホークスの二軍投手コーチ、若田部健一。 背番号72。 90年代、福岡ダイエーホークス時代のエースとして、投手陣を牽引した選手です。 あの頃本当に、他に人材がいなくて、孤軍奮闘、獅子奮迅の活躍でした。 1999年、入団した尾花投手コーチに発破…

背番号71の記憶…

(敬称略) この番号だと、監督やコーチの番号になりますね。 71はいい番号ですから、いろんな方がいらっしゃいますが、この人を。 関根潤三。 横浜大洋ホエールズの監督時代、背番号71を背負いました。 この後、ヤクルトでも監督をやりましたが、いずれも成…

背番号70の記憶…

(敬称略) ホークスには、田上秀則というキャッチャーがいました。 背番号70です。 中日では3年間在籍、大きいのを打てるキャッチャーとして期待もされましたが、わずか3年で自由契約にされます。 見かえさんと、ホークスの入団テストを受験。 実はこの時、…

背番号69の記憶…

(敬称略) ホークスに、井手正太郎という外野手がいました。 2001年ドラフト8巡。 宮崎県出身で、日南学園で甲子園を経験。 今年も育成で2人取ってますが、ホークスはかねてから、九州出身の選手を積極的に取ってきました。 井手もその一環。 事実、成績の…

背番号68の記憶…

(敬称略) ホークスでは三森大貴が、背番号68を背負います。 埼玉県出身で、「登戸ファイターズ」で野球を始めたそうです。 お隣、越谷市の出身です。 1999年生まれ、18歳。 もうすぐ、21世紀生まれの選手が、グラウンドを走り回る時代が来るんですね~ ル…

背番号67の記憶…

(敬称略) 記憶に残るのは、阪神などのブラゼルかな? 西武、阪神、ロッテで活躍しました。 昔は外国人選手が日本国内で移籍するのは珍しかったですが、最近はウチのサファテも含め、少なくないですね。 日本球界を熟知した、外国人選手は、貴重な存在では…

背番号66の記憶…

(敬称略) ホークスファンとしては決して忘れてはいけない投手がいます。 斉藤和巳。 背番号66。 最初こそ怪我もあったり苦労しましたが、2000年代前半から中盤にかけて、ホークスのエースとして、もうそれは炎のような大活躍を見せました。 2003年には阪神…

背番号65の記憶…

(敬称略) 一軍で長く活躍しているという点では、西武の斉藤彰吾かな? 背番号65、外野手です。 僕としては相手目線ですから、時々やられるな、って印象ですけど、多くは守備要員、代走要員のようですね。 ただ、ここ数年は出番が減ってきているようです。 …

背番号64の記憶…

(敬称略) ホークスに、田之上慶三郎という投手がいました。 背番号64です。 僕と、同い年のようですね。 稼働したのは、2000年前後。 でも最初はもっと前、新聞に掲載されていた、選手のリストで知りました。 指宿商業高校の出身で、鹿児島の人なんだな~…

背番号63の記憶…

(敬称略) ホークスには、笠原大芽という選手がいます。 福岡県出身、22歳の若者です。 お父さん、お兄さんも、元プロ野球選手。 野球一家に育っています。 左投右打、というのは珍しいかも知れません。 お父さん、お兄さんとも、右投右打でしたから、影響…

背番号62の記憶…

(敬称略) ホークスではどういうわけか、キャッチャーの番号でして。 長らく、山崎勝己が付けていました。 城島みたいなスーパーキャッチャーではなかったですが、安定感のあるキャッチャーでした。 ただ、田上秀則だったり、細川亨だったり、常に強力なラ…

背番号61の記憶…

(敬称略) 野球選手で有名なのは、角中かな? 今は3番ですが、長らく背番号61を付けていました。 強打者ですよね~ 首位打者も、2回取りました。 出身は七尾市ですが、アイランドリーグの高知ファイティングドッグスの出身で、独立リーグ出身では、稼ぎ頭で…

背番号60の記憶…

(敬称略) 実はこの企画、60番台が一番難しいんです。 70番台以降は監督、コーチがいるので、その現役時代を書けます。 90番台は、何人か選手もいますし。 若い選手でも、60番台を付けて、なおかつ書けそうなネタがある人は、少ないのです。 大いなるチャレ…

背番号59の記憶…

(敬称略) 石毛博史。 背番号59。 巨人の90年代前半を支えた、クローザーです。 とにかく、球が速かった! 150km/h超は当時はまだ少なく、驚異的でしたね。 長嶋監督は石毛と橋本を指して、「勝利の方程式」と表現したそうですが、他チームでも使われる「メ…

背番号58の記憶…

(敬称略) 我らが「King of the Closer」!! デニス・サファテ投手。 背番号58。 マリンスタジアムなどに、友人を連れて行くことがあります。 勝ってればもちろん、このサファテが登場するんですが、 「速ぇ~なぁ~!!」ってのが、共通の感想。 150km/h後…

背番号57の記憶…

(敬称略) ホークスでは、左のワンポイントというイメージが、定着してますね。 背番号57、三瀬幸司が有名です。 「三瀬=店」から、「店長~!!」なんて声が、飛んでましたね。 ただ、2005年の交流戦で、金本への頭部死球で危険球退場になってからは、思…

背番号56の記憶…

(敬称略) 御子柴進。 背番号56。 読みは「みこしば」です。 長野、特に岡谷や伊那に多い名字で、松本でもよく見かけました。 そう、彼は塩尻の出身。 松本工業高校から阪神タイガースへ入団して、15年間も活躍した選手です。 右サイドハンド、変速投法の投…

背番号55の記憶…

(敬称略) 3人挙げます。 まずは誰もが知る、ゴジラ松井! 日本を代表する長距離砲で、東京ドームほかに多数のホームランをかっ飛ばしました。 守備でもそつのないところを見せましたし、何より、 「紳士」! 読売巨人軍にはうってつけの選手だと、思ってい…

背番号54の記憶…

(敬称略) 僕の中では、槇原博己かな? 主力になってからは背番号17ですが、デビューしてからしばらくは、背番号54。 50番の駒田、55番の吉村とともに、「50番トリオ」なんて言われました。 とにかく球が速かった! 1980年代では珍しい、150km/h超えを連発…

背番号53の記憶…

(敬称略) ホークスの五十嵐亮太。 かつてはヤクルトで活躍した時は、「速い!!」 150km/h後半の剛速球で、グイグイ押しました。 石井弘寿とともに、「ロケットボーイズ」なんて呼ばれたそうですよ。 ※ トランプさんがあの人に付けた「ロケット…」と違うの…

背番号52の記憶…

(敬称略) この人でしょう! 川崎宗則。 背番号52。 そう、ホークスが強くなる一歩手前ぐらいから活躍しだした、ホークスの内野手。 あらゆる意味で、中心にいた選手です。 実は、出身の鹿児島県姶良町には、僕も住んでたことがありましてね。 僕は東側の帖…

背番号51の記憶…

(敬称略) 皆さんご存知の、偉大な選手がいます。 「Ichiro Suzuki」 背番号51。 「イチロー」は、今では立派な固有名詞ですが、元々は仰木監督が、入団当初から三枚目で売っていた!?佐藤和弘を「パンチ」として売り出すため、カップリングとして名付けた…

背番号50の記憶…

(敬称略) 今日投げた、攝津! これ、実はSBM(ソフトバンクモバイル)の頃の! 「50攝津-25(ブライアン)ファルケンボーグ-14馬原」の、鉄壁のリレーでした。 SBMの一番手で出てくる攝津は、特に厳しい場面が多かった! でも、伝家の宝刀・シンカーを繰…

背番号49の記憶…

(敬称略) この人かな? 巨人にいた外国人、ウォーレン・クロマティ。 巨人にいたのは80年代中盤から後半。 7年間もいました。 広角に打ち分けるスタイルは強力で、主力選手として活躍。 くの字型のバッティングフォームが、特徴的でした。 ファンにも愛さ…

背番号48の記憶…

(敬称略) 1989年の日本シリーズ。 巨人と、近鉄。 多分、受験勉強そっちのけで、見てたはず。 試合は近鉄が3連勝。 例のK投手のビッグマウスなどが出て、このまま4連勝かと思われた、第4戦。 立ちはだかった投手がいました。 香田勲男。 背番号48。 後のな…

背番号47の記憶…

(敬称略) 今は背番号81ですが… 「工藤公康」 現役時代はほぼ、背番号47でした。 西武でエースを張り、FAでホークスへ。 主力として活躍する傍ら、捕手・城島を育てたエピソードも残ります。 工藤は、「とにかく、やらせて(打たれて)、考えさせる」方針だ…

背番号46の記憶…

(敬称略) ホークスの背番号46「ポンちゃん」 本多雄一。 鉄壁の守備を誇ります。 ポジションはセカンドですが、何と言っても彼の魅力は、「守備範囲の広さ」 相当広角に、一、二塁間をカバーします。 それも、かなり深くまでポジショニングしても、一塁で…

背番号45の記憶…

(敬称略) バースの次ぐらいにやってきた、阪神の外国人。 セシル・フィルダー。 背番号45。 それまで、フィルダーはメジャーにはいたものの、なかなか活躍の場に恵まれずにいました。 日本へは、出場機会を求めて、やってきたのです。 ここで突如、打棒開…

背番号44の記憶…

(敬称略) 有名なのは、ランディ・バースでしょうか。 阪神の黄金期を支えたバッターです。 掛布・岡田とのトリオは、強力でしたね~!! 巨人の槇原から打った三連発は、阪神ファンなら誰でも記憶にあるシーンです。 今は牧場経営の他、政治家としても活動…

背番号43の記憶…

(敬称略) 今のホークスでは、江川智晃ですね。 入った当初は右の大砲として期待され、背番号は8番でしたが、レギュラーには定着できず。 そのうち背番号は、43番に変わりました。 二軍で辛酸をなめて、いろいろな経験を積んで、時たま、43番を見かけること…