Line Buffer Overflow…

書くことが多過ぎるとき、バッファーとしてこちらに書きます。不定期更新です。

背番号

背番号83の記憶…

(敬称略) この人が、背番号83でしたか。 馬場敏史。 現在は西武で、内野守備走塁コーチを務めます。 この人は元々、ホークスの選手。 レギュラーではなかったけど、守備はピカイチ。 終盤の守りを固める人でした。 トレードでオリックスに行った頃は、レギ…

背番号82の記憶…

(敬称略) NFLでは、ピッツバーグ・スティーラーズに在籍した、アントワン・ランドルエルが印象的です。 強豪のスティーラーズにあって、作戦によっては登場するワイドレシーバー(WR)だったと思いますが、この人、非常に器用で。 体はそれほど大きくあり…

背番号81の記憶…

(敬称略) ホークスの工藤監督、そして秋山監督が、背番号81ですね。 工藤さんは用兵が上手く、選手が結果を出しやすいですね。 秋山さんは背中で付いていかせるタイプ、かな? 2人とも、根本さん、王さんが築いたチームを、見事に引き継いでいますね。 NFL…

背番号80の記憶…

(敬称略) 野球選手では、この人かな? 千葉ロッテの大塚明。 コーチ時代の背番号、80。 現役時代は背番号23で、外野手として大いに期待されましたが、怪我も多くて伸び悩み、フルに活躍したシーズンは、わずかでした。 でも、敵のファンにも名前を覚えられ…

背番号79の記憶…

(敬称略) 赤ヘルの指揮官です。 緒方耕市。 監督時代の背番号79。 現役時代は外野手で、常に盗塁王を狙える走力を持ちました。 事実、1995年から3年連続、盗塁王を獲得しています。 打撃でも実力をみせ、首位打者に迫ったこともあります。 しかし、怪我も…

背番号78の記憶…

(敬称略) この人を、挙げたいかと。 須藤豊。 監督/コーチ時代の背番号、78。 (他の番号もあり) 現役時代は知りませんが、セカンドベースマンだったそうです。 当時の球団合併でポジションを奪われる形となって、苦労したようですね。 監督・コーチとし…

背番号77の記憶…

(敬称略) 僕らが思いつく、背番号77は… 星野仙一。 監督時代の背番号は、77です。 もう少し上の世代になると、多分こういう答になるでしょう。 川上哲治。 監督時代の背番号、77。 打撃の神様として君臨。 「ボールが止まって見えた」の言葉は有名です。 …

背番号76の記憶…

(敬称略) 中日ドラゴンズの投手コーチ、主にブルペンを担当するコーチがいます。 近藤真市。 背番号76。 この人の野球人生は、1987年8月9日の、ナゴヤ球場での巨人戦に尽きます。 なんと言っても、プロ初登板でノーヒットノーランをやってのけたんですから…

背番号75の記憶…

(敬称略) 千葉ロッテマリーンズの一軍打撃コーチに、堀幸一という人がいます。 背番号は75。 長らく背番号5を背負い、千葉ロッテ一筋、21年間も活躍を続けた選手でした。 「打てて守れる」とは、彼のことを言う言葉でしょう。 内野はどこでも、外野さえも…

背番号74の記憶…

(敬称略) 背番号74って、実は首脳陣にも、あんまりいないようですね。 でも、ホークスにはこの企画のためにあるような?方がいらっしゃいます。 小川史(おがわひろし)。 現役時代はショートの他、内外野をどこでもこなすプレーヤーで、選手会長も長く務…

背番号73の記憶…

(敬称略) 藤田元司。 背番号73。 僕が本格的にプロ野球を見だした1981年、巨人の監督を引き受けた人です。 それまでの長嶋さんの監督ぶりは、決して順風満帆じゃなかった。 その長嶋さんが監督を退任、王さんも引退して助監督になり、そして原辰徳がルーキ…

背番号72の記憶…

(敬称略) ホークスの二軍投手コーチ、若田部健一。 背番号72。 90年代、福岡ダイエーホークス時代のエースとして、投手陣を牽引した選手です。 あの頃本当に、他に人材がいなくて、孤軍奮闘、獅子奮迅の活躍でした。 1999年、入団した尾花投手コーチに発破…

背番号71の記憶…

(敬称略) この番号だと、監督やコーチの番号になりますね。 71はいい番号ですから、いろんな方がいらっしゃいますが、この人を。 関根潤三。 横浜大洋ホエールズの監督時代、背番号71を背負いました。 この後、ヤクルトでも監督をやりましたが、いずれも成…

背番号70の記憶…

(敬称略) ホークスには、田上秀則というキャッチャーがいました。 背番号70です。 中日では3年間在籍、大きいのを打てるキャッチャーとして期待もされましたが、わずか3年で自由契約にされます。 見かえさんと、ホークスの入団テストを受験。 実はこの時、…

背番号69の記憶…

(敬称略) ホークスに、井手正太郎という外野手がいました。 2001年ドラフト8巡。 宮崎県出身で、日南学園で甲子園を経験。 今年も育成で2人取ってますが、ホークスはかねてから、九州出身の選手を積極的に取ってきました。 井手もその一環。 事実、成績の…

背番号68の記憶…

(敬称略) ホークスでは三森大貴が、背番号68を背負います。 埼玉県出身で、「登戸ファイターズ」で野球を始めたそうです。 お隣、越谷市の出身です。 1999年生まれ、18歳。 もうすぐ、21世紀生まれの選手が、グラウンドを走り回る時代が来るんですね~ ル…

背番号67の記憶…

(敬称略) 記憶に残るのは、阪神などのブラゼルかな? 西武、阪神、ロッテで活躍しました。 昔は外国人選手が日本国内で移籍するのは珍しかったですが、最近はウチのサファテも含め、少なくないですね。 日本球界を熟知した、外国人選手は、貴重な存在では…

背番号66の記憶…

(敬称略) ホークスファンとしては決して忘れてはいけない投手がいます。 斉藤和巳。 背番号66。 最初こそ怪我もあったり苦労しましたが、2000年代前半から中盤にかけて、ホークスのエースとして、もうそれは炎のような大活躍を見せました。 2003年には阪神…

背番号65の記憶…

(敬称略) 一軍で長く活躍しているという点では、西武の斉藤彰吾かな? 背番号65、外野手です。 僕としては相手目線ですから、時々やられるな、って印象ですけど、多くは守備要員、代走要員のようですね。 ただ、ここ数年は出番が減ってきているようです。 …

背番号64の記憶…

(敬称略) ホークスに、田之上慶三郎という投手がいました。 背番号64です。 僕と、同い年のようですね。 稼働したのは、2000年前後。 でも最初はもっと前、新聞に掲載されていた、選手のリストで知りました。 指宿商業高校の出身で、鹿児島の人なんだな~…

背番号63の記憶…

(敬称略) ホークスには、笠原大芽という選手がいます。 福岡県出身、22歳の若者です。 お父さん、お兄さんも、元プロ野球選手。 野球一家に育っています。 左投右打、というのは珍しいかも知れません。 お父さん、お兄さんとも、右投右打でしたから、影響…

背番号62の記憶…

(敬称略) ホークスではどういうわけか、キャッチャーの番号でして。 長らく、山崎勝己が付けていました。 城島みたいなスーパーキャッチャーではなかったですが、安定感のあるキャッチャーでした。 ただ、田上秀則だったり、細川亨だったり、常に強力なラ…

背番号61の記憶…

(敬称略) 野球選手で有名なのは、角中かな? 今は3番ですが、長らく背番号61を付けていました。 強打者ですよね~ 首位打者も、2回取りました。 出身は七尾市ですが、アイランドリーグの高知ファイティングドッグスの出身で、独立リーグ出身では、稼ぎ頭で…

背番号60の記憶…

(敬称略) 実はこの企画、60番台が一番難しいんです。 70番台以降は監督、コーチがいるので、その現役時代を書けます。 90番台は、何人か選手もいますし。 若い選手でも、60番台を付けて、なおかつ書けそうなネタがある人は、少ないのです。 大いなるチャレ…

背番号59の記憶…

(敬称略) 石毛博史。 背番号59。 巨人の90年代前半を支えた、クローザーです。 とにかく、球が速かった! 150km/h超は当時はまだ少なく、驚異的でしたね。 長嶋監督は石毛と橋本を指して、「勝利の方程式」と表現したそうですが、他チームでも使われる「メ…

背番号58の記憶…

(敬称略) 我らが「King of the Closer」!! デニス・サファテ投手。 背番号58。 マリンスタジアムなどに、友人を連れて行くことがあります。 勝ってればもちろん、このサファテが登場するんですが、 「速ぇ~なぁ~!!」ってのが、共通の感想。 150km/h後…

背番号57の記憶…

(敬称略) ホークスでは、左のワンポイントというイメージが、定着してますね。 背番号57、三瀬幸司が有名です。 「三瀬=店」から、「店長~!!」なんて声が、飛んでましたね。 ただ、2005年の交流戦で、金本への頭部死球で危険球退場になってからは、思…

背番号56の記憶…

(敬称略) 御子柴進。 背番号56。 読みは「みこしば」です。 長野、特に岡谷や伊那に多い名字で、松本でもよく見かけました。 そう、彼は塩尻の出身。 松本工業高校から阪神タイガースへ入団して、15年間も活躍した選手です。 右サイドハンド、変速投法の投…

背番号55の記憶…

(敬称略) 3人挙げます。 まずは誰もが知る、ゴジラ松井! 日本を代表する長距離砲で、東京ドームほかに多数のホームランをかっ飛ばしました。 守備でもそつのないところを見せましたし、何より、 「紳士」! 読売巨人軍にはうってつけの選手だと、思ってい…

背番号54の記憶…

(敬称略) 僕の中では、槇原博己かな? 主力になってからは背番号17ですが、デビューしてからしばらくは、背番号54。 50番の駒田、55番の吉村とともに、「50番トリオ」なんて言われました。 とにかく球が速かった! 1980年代では珍しい、150km/h超えを連発…